川口由一さん〈中編〉 〜「愛(うつく)しい人」 vo.1
川口さんの名が知られるようになると「自然農」というのに特別感を出して野菜を高く売ろうとか、この方法は素晴らしいから、自然農を教える学校を作ろうとか、色々な誘いがあったという。だが、その全てを断っている。
川口さんは、自分のいのちに誠実にいることが大事なのであって、そういう外に向かっての「運動」をするのは「はしたないと感じる」と話していた。
旗を立てるのはいいが、旗を振るのは違う。
そういったことをする自分は嫌で耐えられない気持ちになる、と。そうやって自らを省みる恥の感覚が、品性へとつながり、美しき文化となっていくのだろうということは、未だそうした空気がなんとか残っている京都に住んでいた私には想像に易かったが、おおかたが西洋化され、外に向かって自己主張することが是とされるようになった現在の日本社会では、こうした感覚も失われて久しい。
あるとき、実際に
「川口先生のこの自然農は素晴らしいから、すべての人がこういった農法に切り替えられるように広げていきたいと思うんです!」
と熱い思いを語る男性がいた。それに対して川口さんは、
「僕は僕の人生として、自然農を実践してきたけれど、すべての人がそういうふうになるというのは、どうでしょうねぇ。それは、ちょっといびつになるんじゃないでしょうかねぇ。」
とさらりと流していた。
「相対界で、何か片方を良い悪いと分けるのではなくて、一体の境地、絶対界から視点を向けないと必ず見誤りますね。」
という次元の違う回答に、男性はどうにも咀嚼できず、その後も
「その絶対界の感覚が分からないのですが・・・」
と繰り返し問答を続けていた。
困っている人の力になってあげたい。それは、その人の力を奪わないように。
川口さんは、自分が持っている経験、技術、智慧を金銭を介さず、惜しみなく分け与えつつ、だけど、それによって、自分が教祖のようになり、人々が自分を頼り、自立心が育まれなくなることを危惧して、そうならないような自立のための学びの場をつくることの方に心配りをしていた。
別のときに
「うちはずっとおふとん屋さんをしていまして。いまの時代に、布団はどうあるとよいのか、布団屋としてできることは何かあるでしょうか。」
という質問があったときのこと、
「お布団ですか。お布団ねぇ。僕は若い頃、木の枕で寝て、ベニヤ板のような板の上で寝ていたことがありましたね。そういう健康法のようなものだったのだけれど、ちょっと苦行というか、自分を痛めつけるようなやりかたでしたね。」
と、返していて、私は、笑いをこらえるのに必死だった。布団の質問をしたのに、木とベニヤ板って……布でもないじゃないか。
こんなときは「これからは自然農のコットンで」とか返しそうなものだけれど、そうすればその人は、その言葉に依存し、川口さんに依存する生き方になるやもしれない。
川口さんの華麗に的を外した回答は、そういうことを想定してなのか、天然なのか分からないが、川口さんを知れば知るほど、なんというか、何においてもひとつもブレがないことに、ある種の爽快感をおぼえるようになった。
赤目に募金箱が設置されているのを知ったとき、赤目自然農塾は自らの学びのための場であって、他者に頼る場ではない、と、撤去するよう静かに諭していたが、そうした何気なくも一貫とした姿勢には、力強い父性を感じさせるものがあった。川口さんの凛と立つ姿に見惚れ、自分のうちにもそのような強さを育てたいと憧れが募った。
同時に大きく抱きとめる母性、まもられ、安心するような感覚も、川口さんと出会った誰もが、肌で感じたことだろうと思う。
川口さんは、相手がどんな人であろうと、一人ひとり目の前でしっかりと出会っていく。学びの場では、毎回新しい参加者もいて、以前と同じ質問が繰り返されることも多々あったが、いつでもまるで、はじめて聞かれたかのように、そのときの川口さんの思いを混ぜながら返答した。
その応じる姿勢があまりに新鮮なので、ご高齢だし、質問されたことも忘れていくのだろうか、と思ったりしたこともあったが、機会あって川口さんとお食事させてもらったときに、何年も前の最初に参加しはじめたばかりの頃に私が質問したことや、発言したことを覚えていて話してくださって驚いた。
川口さんにとっては、ひとつひとつの出会いが、いのちとの出会いで、話しているあいだに、頭の片隅で明日の予定を考えるようなことはないから、たったいまその人から出る言葉を、その奥の思いを100%受け止めることができる。
川口さんの偉大なところは、本来、だれでもができるはずのことを、だれもができない質を伴ってできる、というところではないかと思う。
川口さんの前では、これまでの経歴や肩書みたいなものは吹っ飛んで、ただ、出会っているいまに、いかに純粋にいられるか、ということが大事になった。
それは、とても気持ちのよいことだった。
川口さんといると、その大きさを見て、自分を小さく感じるようになる。でも、それが、決して居心地の悪い小ささではなく、普段、周囲によく見られたいがために130%くらいに見せようとしていた自分が、元の大きさに戻り、ま、こんなもんだよね、と小さな自分をも愛でられるような素直で爽やかな感覚だった。
ちなみに、この感覚というのは、ある別のワークで少しの「悟り」の状態を経験したときと似ていて。
悟りの境地では、ものすごく自分を壮大に感じられるのだろうとなんとなく想像していたのだけど、実際は、そのように大きくもあり、小さくもある、というのが同時に存在する状態だった。(悟りにも段階があるかもしれず、私が体験したのは、その初歩的なところであるがゆえの感覚かもしれないが)
攻撃的なことをしている人を、なんて必死に愛を求めているのだろう、美しいな、という目で見られるようになり、あぁ、そんなことも見えていなかったのか、となんとも自分をちいさく感じるのだ。でも反省というのとも違って、かわいいなぁ、と幼い自分も愛おしむ気持ちになる、その感覚に似ている。
「現代に仏陀やキリストが生きていたら、こういう感じなのかもなぁ」
と思った。在り方で癒やすとは、そういうことか、と。
派手な行動、活動、革命ではない。
ものすごく普通のことをすることによって、普通の人がなしえないようなことをされている、その静かな迫力が魂にゴンゴン響いて、恍惚とさせた。
行動の奥に一貫とした哲学、人間性があって、それが、すべてを支えている。魔がさしたり、道を踏み外すことがない。それが、いかにすごいことかは、世の中のちょっと成功したような人を見れば分かる。
それでいて、荘厳な衣装を着て闊歩するでもなく、太い声で神の言葉を響き渡らすでもなく、畑の脇をちょっとさびついた自転車を押しながら歩く、細身で小柄な、いたって普通のおじいちゃん、というギャップが最高だった。
畑の見学会では、
「今年は、お豆さんを植えようと思ってこうしたんです。夏の間にはかわいらしい花を咲かせる○○(豆の名前)ですが、煮て食べると、なんともおいしいんですよねぇ。」
と、この世の最上の幸せのように微笑う姿もあれば、田畑のあちこちに、蛍光ピンク色のアメリカザリガニの卵が見られた年があって、それについての対策を質問されて
「最初は、見つけたら取っていたんですけど、取っても増えていくんですよね。それで、いまはそのままにして様子を見ているんです。なので、どんどん増えていってるんですが、そうするといつかいなくなる。そして、いなくなったらいなくなったで今度はちょっと寂しくなるんですね。」
と笑ったり。
またある年は、
「今年は、いくつか雑穀を植えてみたんです。お米と混ぜて炊いたら美味しいでしょう。ところが、鳥が来て、全部食べてしまったんです。こうなると、鳥のために植えたみたいなものですよね。でも、また来年も植えてみようと思っていまして。また、鳥に食べられるんでしょうけど。」
と。
ほのぼの オブ ほのぼの。
問題をもはや問題として見ていない感が天然で、すごすぎるのです。
川口さんは、よく
「答えを生きる」
と言っていた。
若い頃は自分探しをすることもあるだろうけれど、壮年期に入ってくると、見つけた答えを生きていく期間に入っていく、と。
答えがはっきりしていて、答えを生きているならば、もう問題は問題にはならないということを、川口さんの言動、生きかたが表していた。
わたしが好きな畑でのやりとりでこんなこともあった。
「畑の脇に、花がありましたけど、コンパニオンプランツ(ある種の組み合わせで、野菜と花やハーブを組み合わせて植えることで、虫の予防になったり、野菜がよく育つようにする手法)とか、虫よけとか何か意味があるんでしょうか?」
という質問に
「え? なんといったかな? うまく聞き取れなかったので、もう一度言っ
てくださいますか」(多分カタカナ言葉が入ってこなかった)
と聞き返し、
「あの、畑に花がありましたけど、何か意図されてのことなのでしょうか?」
と再度問われ、
「あぁ、それは、お花も植えておくとキレイでしょう。作業の途中で、お花が咲いていると、なんともキレイだなぁ、と見ているんですわ。」
と、気持ちよく返していたこと。
人も、自然界もコントロールする気持ちがなく、ただ共に在り、愛で、喜んでいる。それが心から純粋で澄んでいて、なんだか自己本位な質問を恥じ入るような気持ちにさせられるのだ。
そして、
「そうですよね、キレイですよね、お花。」
と、単純なところにこころが戻っていく。
子どものころに野原で感じたような清々しい気持ちが蘇ってくる。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?