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自己紹介(成人〜今日まで)

自己紹介の続きです^^

心理カウンセラー小園麻貴(こぞの まき)です。
「はじめまして」のご縁を大切にしたく、
私の半生について、軽く綴っております。
ご興味ある方はどうぞお読みいただけたら幸いです。
また、別途当時の詳細や私の想いを込めた半生については
「蒼い真紅」と題して、
別マガジンで一つ一つ綴っております。
こちらもご興味ある方にお読みいただければ幸いです。


7.二十歳前後

社会人になり一人暮らしを始め、
やっと自分の稼ぎで生活が安定していく。
その矢先、離婚した義父から連絡があり、
「弟に会わせる」と。


3歳だった弟は小学生になっており、
嬉しくて弟に会っては好きな物を食べさせたり、
いつもサイズの小さな服を着ていたため
洋服を買ってあげたりしていた。
しかし弟との面会と引き換えにするかのように、
義父から私のへのお金の無尽が始まる。
それはどんどんエスカレートし、
職場にも何度も連絡しきて、
終いには保証人を頼まれるように…
弟が路頭に迷わないために弟の生活費を援助していると
思ってやってきたが、
20歳ほどの私には抱えきれず、保証人を断る。
それで義父は激昂し、
それを機にまた弟と生き別れとなってしまった。



8.20代前半

自己流で法律を学び仕事に励む。
理由は一つ。
法曹界関係者に高卒がほとんど居なかったことが
私の劣等感だったためだった。
そして、これまでの鬱憤を晴らすかのように
たくさん遊びました。
BARやクラブが一番心地良く、
海外旅行も行くようになる。
そして、主人と出逢い、
主人含め仲間で遊ぶ時が一番楽しく過ごしていた。
しばらくして、同棲。

そんな楽しい日々をやっと手に入れたと思った矢先、
通勤電車でアノ発作に襲われる。
これが私のパニック障害の始まりとなる(25歳)。


9.20代後半

当時お付き合いしていた主人が、
私の職場への送り迎えをしてくれるようになる。
そして互いにこれ程長く続くとは思わなかったこともあったが、
主人も私の病気を受け入れてくれ結婚。

そんな新しい生活が始まった頃、
今度は弟から数年ぶりに職場に連絡が入った。
弟は高校生になり、全寮制の学校に通っていたとのこと。
そして、弟の口から信じられない言葉を聞かされました。
お父さん(義父)が失踪した。学校の休みに寮から戻ると、
家だったマンションの一室が空き家になっていた。

と。
帰る場所も唯一の肉親も一瞬にして消え、
私の連絡先も分からず
しばらく学校の先生方に生活をみてもらって
生活していたとのことだった。
そのため直ぐに私は親権を母に移す手続きを裁判所にし、
母と弟は15年振りに再会することとなった。



10.30代前半

パニック障害の薬の心配や発作の心配が絶えなかったものの、
妊娠・出産し、可愛い女の子が生まれる。
しかし娘が一歳になる頃、
突然ブレーカーが落ちたかのように、私は鬱になった。
精神科に通院し、自宅療養していたものの、
苦しさ、不安、消えてしまいたいとの思いが強くなる一方。
そして、大量の安定剤を服用し、
精神科の閉鎖病棟に緊急入院することになる。


窓は10センチしか開かない、トイレの鍵もない、
病棟は外から施錠され、
自分の意志では外に出ることも出来ない環境。
1日2回、許可が下りた時だけ、
看護師の付き添いのもと
病院の外に30分だけ外気浴ができる。
そんな環境の中、
週末になると主人が幼い娘を抱えて面会に来る。
情けなくて、悲しくて、どうして自分だけこうなるのかと…
消えてしまいたく、
毎日泣いて暮らしていた。


その後退院したものの
症状はまったく改善されず、
幼い娘がいるのに食事も買い物もままならない。
子どもの面倒をみるどころか、
顔を洗う、ご飯を食べるなど自分のことすらできない状況が続く。

保健センターの勧めで、
娘は保育園に通うことになり自分の存在意味の無さを痛感。
その苦しみを痛みで消すかのように、
左腕には傷つけるところが無くなるくらい
切り刻んだ痕が残りました。
そして、自宅で自殺未遂。
傍らには幼い娘が居り、
そんな状況の中主人に助けらる。

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11.30代半ば

そんな私や娘を、
主人は必死に守ろうとしてくれた。
ただ、余りにも大量に薬を飲んでしまっていたので、
私にはその頃のことは断片的にしか記憶がない。
後に主人から話を聞いたところ、
毎日会社から帰るたびに「今日も生きてた」と
安堵する日々を数年送っていたと言っていた。

ほんの少しずつですが、快方に向かい始める。
私自身も少しでも早く治したく、
認知行動療法や催眠療法やヒーリングに通う。

最終的に環境を変えたく、
主人に無理を言って引っ越すことに…
ローンを組み家を建てる契約をした矢先、
3.11(東日本大震災)に遭う。
そしてその一ヶ月後、
それまでの長年の私の介護で残業もできず
早退も多買ったこと等を理由に主人がリストラ。
復興が最優先のため、
一般住宅には資材が足らずに建築されていない
家のローンだけがある中、
娘一人抱えて無職となってしまう。

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12.30代後半

玄関から出られない時期も長かったのものの、
パニック障害や鬱といった症状が
比較的落ち着いている時期が出てき始めたころ。
そんな時期には自分の存在価値が消えないように、
そして、育児だけに没頭することが合わなかったため、
ローン返済のため…
理由はその時々で変化していたが、
仕事復帰をする。
でも1年もすれば体が悲鳴を感じ、
ブレーカーが落ちる繰り返し。
そして一番最近、
2人目妊娠とともにブレーカーが落ちていたが
自分自身の心を一から学ぼうと2013年に心理のことを学び、
2014年よりカウンセラーとして新たなスタートを切り
今、こうして生きています!

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最後までお読み頂きありがとうございまいした。
概略な自己紹介ですので、
とても暗く、重く感じた方もいらっしゃることと思います。

しかし、現在のカウンセラー活動の一つとして
ご縁のあったみなさんに
【どんな時にも諦めないで欲しい!】
との私の勝手な願いを込めて、
自身の半生を発信させて頂いております。

人には「正解の生き方」や「正しい生き方」があるのではなく
みんなどのような道を辿ったとしても
自分らしく自分の人生を生きていいということ、
そして
いつからでもいくらでもスタートができることを
カウンセリングを通して知っていただければ幸いです。

パラダイス・バード代表
心理カウンセラー 小園麻貴





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