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最後の決闘裁判 感想

リドリー・スコット監督の最後の決闘裁判
話が進むにつれだんだん話の輪郭か見えてくると、これはもう大好きな映画だ、と思った。

 3人の視点から同じ出来事が描かれる。
 今回はわたしがこの映画を観て思ったことを述べていきたい。
 以下、ネタバレを含みます。この映画を観たよ!という方は是非読んでください。ただこの作品における性的な表現と性暴力への言及がありますので苦手な方は読むのをお控えください。

 

主観


 先に述べたように、3人の視点から描かれるこの作品ではジャン・ド・カルージュの妻マルグリットが、夫の親友あるジャック・ル・グリに強姦された出来事をそれぞれの視点から描いている。


 ジャン・ド・カルージュによる真実

 1番最初に描かれるのはジャンの視点なのだが、ここで妻のマルグリットは自分のことをとても愛していて、遠征から帰ってきた自分を「待ってました!」と言わんばかりに迎えるマルグリットの様子や、遠征へ向かうのを非常に悲しむ様子が映し出される。ジャンもマルグリットに対する愛情は深く、抱きしめたり、言葉で愛情を示す。
 ジャンの視点では、マルグリットは自分をひたむきに愛しているだけの存在である。あとから分かるのだが、これは事実とは違い、ジャンはマルグリットを見下しているということが分かる。映画内でも描かれているが、この時代は女性の権利なんていうものはほとんどなかった。ジャンがそう思っても仕方ないが、なんというかおめでたい勘違いだ。


ジャック・ル・グリによる真実

 第2の視点は、ジャンの親友であるジャックの視点だ。マルグリットを強姦した張本人である。ジャックは色男で女性にモテるが、遊び遊びといいつつ半ば無理やり手篭めにする場面もあった。しかし決して高貴な出ではないのに数ヶ国語を理解し、読書もする。計算もできるため、財政も任される才色兼備ぶりだ。じつはマルグリットは彼同様の教養を持っていた。そのためこの時代で彼女は変人扱いされていたが、ジャックはそこに惚れ込んでしまった。女に不自由しなかったジャックは恋なんて知らなかったのだろう。勘違いがとんでもない方向に行き、マルグリットが自分を好きだと思い込んだ。おめでたすぎる。ストーカーと同じ思考回路。それが強姦に至った経緯であることが明かされる。この場面ではマルグリットがジャンと踊りながらも自分に目線を送る様子がある。それはただジャンにジャックの悪口を言っていただけだと3章でわかるのだが、ジャックはそれを自分に気があると勘違いする。今日初めて会った人に気を持つ方がどうかしている。
 この章で見受けられるように、女性の扱いはほとんど物と同等だ。結婚すれば夫の所有物となるだけである。ジャックのセリフの中で「このことを夫君に話せば、(マルグリットが)殺されるだろうから黙っていろ」というセリフがある。女性が暴行を受けても声を上げることさえ許されていなかった。

レディ・マルグリットによる真実

 第3の視点はマルグリットだ。この章のはじまりに
" The truth according to Lady Marguerite(マルグリットによる真実)"と文字が出たあと、" The truth "だけが画面に残る。恐らく、マルグリットの視点が実際に起こったことを客観的に描いているのだ。
 マルグリットは結婚の持参金の確認をした時、マルグリットが持参する財産が少ないことに気づき、「結婚したらこの土地は貰えるという約束だったはずだ」などとマルグリットの父親言い、そのかわりに「娘は健康で子供を産めるだろうな」と言う。恐らく娘のマルグリットからすれば、父親に対して自分の性を思わせるような話はしないで欲しいだろう。神聖な場面とは言えない気まずいシーンを作り上げる。なんと幸先悪い結婚だろうか。その予感的中!と言わんばかりに夫は冷たく、妻に対する愛情は示さない。その証拠として、1章と3章を比較すると、セリフすら全く違う。あくまで彼の妻に対する愛情は、彼が心の中に持っているだけであり、妻にそれを示す様子はない。むしろ素っ気なく、冷たい夫だ。彼の心情描写が映像となってわたしはそれを観ていたのだ。なんと面白い演出だろうか。
 それどころかジャンはなかなか子供ができないマルグリットに対して「お前が子供が欲しいかは関係ない、男を産むんだ」「前の妻はすぐに子供を産んだ」などと、妻を子供を産む道具としか見てないような発言をする。モラハラセクハラの大安売り。それも子供を産むことによって、(心の中では)愛している妻の立場を守るためなのかもしれないが、それを言われた妻は何を思うだろう。「はぁ???」に尽きるのではないか。ジャンにとっては普通の発言が、実際は冷酷で失礼な発言だったことが分かる。
 夫が遠征に行っている間、マルグリットは経理をこなし、馬の世話人や、畑を耕している使用人にに的確な指示を出す。本人も言っているが、夫がやるより管理が行き届いている。本を読んだり、使用人と談笑したりと周りとの関係も良好な様子が伺える。ただ義母からは世継ぎを急かされ、「息子との交わりに歓びはないの?」などと言われる。
 暴行を受けた後、マルグリットはその事を夫のジャンに伝える。超絶男尊女卑至上主義のジャンは「お前が誘惑したんじゃないのか」「あいつはいつも私に邪悪なことばかりする」などと言う。もういっそわたしがお前をボコボコにしてやろうかと思った。マルグリットは「私は真実だけを話しています」と言い、法的に後ろ盾のない自身に協力してくれと言う。自分が被害を受けたのだから、黙ってはいないという姿勢がなんとインテリジェンスがあって、勇気のあることだろうかと思った。



歓び


 この物語における「歓び」は重要な言葉のひとつなのではないか。この時代はいわゆる営みの中で快感が頂点に達しないと妊娠出来ないとされていた。3章で性交渉の様子が描かれるのだが、マルグリットは快感と言うよりもむしろ苦しそうな表情が伺える。結婚し、数年が過ぎても一向に妊娠しないマルグリットは医師による診察を受けるのだが、ここでも「営みの中で歓びはありますか?」と問われる。マルグリットは「ええ、もちろん」と答えるが、その顔は「ええ、もちろん」の顔ではない。裁判のシーンにおいても裁判官から同様の質問をされる。この場面ではマルグリットは妊娠している。暴行を受けたのは6ヶ月前で妊娠6ヶ月だ。暴行を受けた後に、夫であるジャンからも交わりを強要されたため、どちらが父親なのかはわからないが、皮肉がすぎる場面だ。マルグリットは2回暴行を受けたと言える。裁判官は加えて、暴行したジャックとの交わりに歓びはあったか、などと問われる。なんと屈辱的だろうか。マルグリットはとうとう涙を流すが、最後まで自身の主張を覆さなかった。


表情の演技

この作品の時代、上記のように女性の権利はほとんど無い、いや全く無かった。発言をすることも許されなかったのだろう。この物語に出てくる権力者達の妻は夫の付属品でしかない。そんな中で、妻たちの表情の演技が素晴らしかった。命をかけた決闘を大喜びで見る夫にドン引きし、手を差し伸べられても嫌な顔をして目をそらす。非道徳的な発言をする夫の横で「何言ってんのこいつ」といった表情をする妻の様子が画面にうつる。
 そのことを鑑みると、この時代の女性の主張なんてこの程度だったのだ。そんな中マルグリットは勇気を持って、暴行を受けたと主張し続けた。決闘の直前でも主張した。


女性への性暴力

 この時代、たくさんの女性が暴行を受けてきたが、みんなそれを告発することなどできない。マルグリットの義母も過去に暴行があったことを告白している。もしその事が知れたら、家の悪評が出回ることになるし、決闘になったとしても負ければ裸で焼かれて殺されるという未来が待っている。(マルグリットはこれを夫から伝えられていなかったが)「強姦されたんです」と言うことがどんなに屈辱的で、惨めだろうか。周りの人にはそのような印象を持たれる。なんならその場面を想像される。誰にも言いたくないが、黙っていれば強姦した男はのうのうと生きている。でも、こんなことを言う訳にはいかない。
 これは現代の女性も抱える問題だ。暴行を受けて、被害を受けたのに色々な思いからそれを言い出せない。このような実態が1300年代から続いていると思うと、なんだか腹立たしくなってくる。どうして被害を受けた側がそれを黙っていなければいけないのだろう。加害者は当然報いを受けるべきなのに。

女性の実情

 ハイパー男尊女卑の時代だったが、マルグリットは数ヶ国語を話し、本を読み、畑や生き物の知識もあった。男性に見下されている存在の女性であるマルグリットは実はジャンより能力が高い。実際にそういったこともあっただろう。それを表現したところに監督の意図が感じられた。


決闘の行方

 いよいよ決闘が行われる。勝った方の主張が正しいということになり、その結果は神のみぞ知る。簡潔に述べるとジャンが勝ち、マルグリットの主張が通ったことになる。王によってジャンは賞賛される。喜ぶべき場面で、マルグリットは喜べない。勝利した夫が歩み寄り、お互いに抱きしめ合うのだが、なんだか機械的だ。ジャンが観客たちに妻を称えるようなポーズをとる。観客の中の女性たちが喜んでいることで、やはり理不尽さを感じながらも黙っているしか無かった女性が多かったのだと思った。
 しかしこの決闘はもはやジャンとジャックの誇りをかけた戦いでしかなかった。マルグリットが暴行されていようがいまいが関係ないのだ。勝った夫は妻のために戦った夫として人々に賞賛されるが、夫が自分を思ってやった事では無いことは妻であるマルグリットがいちばんわかっている。土地を取られただ、自分が手にするはずだった権力を奪われたことに対する報復でしかない。マルグリットのカットになるのだが何も見つめていない瞳が物語る様子が手に取るように分かり、鳥肌が立った。


 結果としてその後ジャンは数年後に死亡し、生まれた子供と生涯裕福で人生を送った。再婚することは無かったという。そりゃそうだ。夫を亡くしたことで、やっと自由に生きられるようになったのだ。


最後に

 とにかく凄まじい情報量の映画だった。ビジュアルの面でもこだわりが素晴らしい。その上、主観によって語られる物語が違うのでどういうことか考えながら観た。2時間半と長尺なのだが、全く飽きずに終始ワクワクしながら観た。また述べてきたように、見る人によって同じ出来事の見え方が全く違うということゾッとした。真実はその人の捉え方の数だけある。価値観や考え方によってこんなに見え方が違うのかと改めて考えさせられた。 
 決して観て楽しい題材ではないが、現代のわたしたちにも通ずる問題が語られており、心が元気な時があればたくさんの人に観て欲しい映画だった。とても素晴らしかった。

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