見出し画像

井戸のあった暮らし

この写真をみつけたら、何故かタイトルにこの言葉を置きたくなった。そして同時に、京都の詩仙堂が心に浮かんだ。

確か片隅に、井戸があったような気がする。訪れたのは秋の終わりの、小雨の頃だったか。折り畳み傘を指にぶらさげてシャッターをきろうとして、思うほど美しく撮れそうになく取りやめた、斜めに歩いた石畳の記憶。

庭を眺めていると、小雨の中に陽が眩しく射しはじめ、振り向くと連れてきてくれた友達のMちゃんが、私が座っている姿を背中から動画に収めてくれていた。「光の雨の中に佇む姿が素敵で」とMちゃんは言う。私は自分の後ろ姿は素敵とは程遠いと自認しているので、慌てて背筋を伸ばして、その厳かな薄暗闇と光の雨とを台無しにしないように、身体を慌てて整える。

Mちゃんは、私が伝えることを仕事にしているNVCというものを通じて出会った人だ。お友達の妹さんのお友達、というつながりで、ある夏、京都の公共施設で、つながりから声をかけあって広がる輪にある人たちの集う、あたたかなワークショップをホストしてくれた。その時のつながりが、ありがたいことに、今もずっと続いている。それどころか、時にこうして、彼女の知るとびきり特別なところへと案内してくれるのだ。

京都芸術大学の近くにある、季節のものを美味しくいただける、地域の方に愛されている喫茶店。詩仙堂(そして私が気になってその隣にある神社にもご参拝したが、そこは詩仙堂とはまったく異なるタイプの強い気が流れていて、エネルギー酔いしてしまった)。そして、住宅街の片隅で小さなお子さんのいるご夫婦が営んでいる天然酵母のパン屋さん。坂のまちには立派な倉やお堂のようなものも見えて、彼女がお会計をすませている間、さっと小走りして、気になるところをちょこまか散策してしまった。この感覚って、どこか、子どもの頃の寄り道に似ているんだな。懐かしさを感じるのは、そういう理由だったのかな、と今になって気づく。

さて。なんで「井戸のある暮らし」なんて書こうと思ったのだっけ。というのはその言葉が降りてきたからなのだけれど。

「井戸のある暮らし」というのを、私はとても大切な、守りたいことの一つのように思っている。実家にもかつて井戸があった。今は塞がれているけれど、まだ閉ざされていなかったころ、その井戸には蛇が住んでいると言う人がいた。井戸の石垣のところにはユキノシタが生えていて、私はそのユキノシタの白くて可憐な姿の影に、蛇の姿と、深い井戸と、そこから聞こえる水滴の音のようなものを感じて、美しさと不気味さの混ざったとても複雑な気持ちになった。幼い私にとって、それは魔法のかかった空間だった。

井戸そのものを使ったことは私にはないけれど、つるべをおろし、組みあげる時の、少し怖くなるような重たさは、何故だか身体が覚えている。あれはいつ、どこで身につけた記憶なのだろうか。自分よりずっと前に生まれた誰かがそうするのを、じっとみていた頃が、私にもあったのだろうか。

あの頃。水はいまよりもっと身近にあった。敷地のすぐ隣にも、前にも、コンクリートに固められていない農業用水が流れていた。ザリガニがいた。どじょうやナマズが泳いでいた。摘んだ草花を流して速さを競って遊んだ。勝った者は願いが叶うといった、独自のルールを「言ったもん勝ち」で決めて、出鱈目なのにそれに合意して躍起になって遊んだ。遊んで、服や靴を泥で汚さない日なんてなかった。

ふるさとよ。私が恋しいのは、そんな日のあなたでもある。

コロナの療養期間の、部屋で過ごす時間。「溜まった仕事を片付ける」というのも手放して、何をしたっていいよ、と自分に伝えてみたら、私は穏やかな余白の中に言葉を綴ることを、ただしてみたくなってここにいる。

土に雨が沁みるような、静かでゆっくりとした営み。

私たちのいのちが時の創造の場だとしたとき、いのちは、ちょうどよい時紬ぎの方法を、自ずと見い出してくれるのでしょうか。