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金沢城の石を引いた町「石引」の商店街 【クラシック編】

福光屋へ行き、石引商店街が気になってきました。よく見ると、江戸、明治創業の老舗が他にも軒を並べています。
江戸時代創業の福光屋さんは以前ご紹介しました。気になる方はこちらをどうぞ。

1. 生菓子の平野屋さん

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こちらは、明治35年創業です。
友人から、最近の大福はどこも求肥を使っていてイマイチだけど、平野屋さんのはちゃんとお餅でおいしいよと聞いたことがあり、寄ってみました。

コンクリートうちっぱなしで、モダンな建物です。平成元年に建てられていて、その頃には周りにはこういう建物はありませんでした。

「ささげ餅」というお餅が売っていて、なにかと思い「何にささげるんですか?」と聞いてしまいました。
ささげるものではありませんでした。小豆ではなく「ささげ」という豆を使ったお餅です。
土用の丑の日というと今ではうなぎ一色。でも、以前は金沢で、この「ささげ餅」と「笹餅」を娘の嫁ぎ先に持って行く風習があったそうです。 

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「ささげ餅」は、夏のこの時期しかないということで食べてみました。豆は、小豆よりも少し長くて、堅さもあります。甘くない塩味で、夏においしいお餅でした。

「ささげ」は、小豆よりも煮崩れもしにくく、形が綺麗に残ります。
切腹を連想させる崩れを嫌う金沢の武家文化では重宝されていて、赤飯も「ささげ」で炊くところもあります。
平野屋さんの赤飯は、小豆です。

笹餅もいただきました。
まず、笹を開いて、口元まで持ってくると爽やかな笹の香りがします。
清涼感あり、暑い夏の土用に送られていたというのもうなずけます。

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2. 加賀豆腐大鋸(おが)本店さん

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北陸で1番古いお豆腐屋さんで、天保元年(1830年)創業の老舗です。
日本の豆腐は、遣唐使が伝えた説、鎌倉時代に禅宗と入ってきた説と諸説あります。
江戸時代に、庶民の食べ物として普及しました。
この大鋸本店が売り出したころは、「豆腐」は新しい都会的な食べ物でした。

創始者は、大鋸屋村(今の富山県小矢部市)の農夫でした。
百万石の城下町で一旗あげようと新規事業を始めたのがこのお豆腐屋さんです。
すごく研究熱心で、能登の揚げ浜塩の「にがり」を利用することで独特の風味を出しました。大阪へも何度も豆腐の作り方を学ぶために足を運んでいます。
お店に入って、いざお豆腐を選びます。

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江戸を思わせるパッケージの「金沢堅豆腐」と、夏ならではの「枝豆とうふ」を買いました。
堅豆腐は、かなり豆味が濃くて、食感もしっかりしています。豆腐ステーキにするには、崩れず最適でした。水切りしなくても大丈夫なくらいです。

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枝豆とうふは、最初は豆の味がして、あとで枝豆の香りがふわっとします。オリーブオイルを少しかけても美味しいですが、そのまま食べるのがおすすめです。

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ふと帰り際に、英語の新聞記事のようなものがかかっているのに気がつきました。

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何かと思って、見せてもらうとSoyfoods winter 1982とありました。
金沢の魅力的なお豆腐屋さんとして、写真が載っています。
帰って調べてみると、創設されて間もないアメリカの大豆生産者協会(現在のsoyfoods association of North America) の機関紙で、日本の豆腐の製作プロセスをアメリカに適用できないか調べにきた報告の号でした。

後日、「にがりとうふ」を買いに行ったときに、この記事の話をすると、お豆腐屋さんの方が「そうそう、その頃アメリカで豆腐が作られ始めたばかりで、逆にこちらからシアトルのお豆腐に関する学会のようなものにわたしも参加したよ」ということで驚きました。

「にがりとうふ」のパッケージには、「揚げ浜塩田 角花家のにがり使用」とあります。
能登の揚げ浜塩の製法は、重要無形民俗文化財に指定されています。そして、この角花家は唯一、江戸時代からこの製法を守っていているところです。
江戸からのお付き合いの生み出した味かもしれないと考えると、お豆腐もよりおいしいと思えてきました。

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3. アーケードについて

ここまでのお店の様子を見て、この石引商店街はビルばっかりと思いましたか?

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石引では、昭和40年代半ばに道路が広げられ、店舗兼住宅のビルが建てられていきました。
高度経済成長期で日本全体が景気のいい頃です。商店街のアーケードもつけられました。 

金沢駅に近い、金澤表参道や近江町市場には、その10年ほど前に全面を覆うアーケードが作られて、賑わっていました。
金沢表参道は、アーケードが取り外されましたが、近江町市場は、再開発の後もアーケードが残っています。

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※道幅が狭いために、全体を覆うタイプだったのではと推測します。

繁華街の片町商店街にも、石引と同じ頃にアーケードが作られました。

早朝の片町商店街

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金沢は雨や雪が多いので、天気を気にせず安心して買い物のできるアーケードは商店街に理想的だったからです。
片町は、「高さがちがうのは見た目が悪い」として、1981年に高さを揃えたため今のアーケードになりました。
石引は、作ったそのままのアーケードと見え、お店のビルの高さごとに、高さの違うアーケードが残っています。

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4. ドンブリック8

昭和を思わせるごはん屋さんです。

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何度か通ったことはあったのですが、看板のイメージから勝手に本屋さんか何かだと勘違いをしていました。
初めて入ってみると、丼は、エビフライ、コロッケなど種類もあり、お昼のサービス定食も税込500円と良心価格です。わたしはカニクリームコロッケを選びましたが、ボリューム満点でした。

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中に作家さんの名前のある絵画や作品があったので、金沢美大が近いので学生さんのものですかと聞くと、元学生さんで今は教えている方のものでした。
山手にある金沢大学も、以前は、ここからほど近い金沢城公園の中にありました。そちらの学生さんも多かったといいます。
自然豊かなキャンパスもいいけれど、街中にあるキャンパスも、街中と学校の境目があまりなくていいのになと思ってしまいました。

5. 学生街について

金沢には学校が多く、学都金沢とも言われます。
よく本屋さんが多いとは言われますが、日販出版流通学院のホームページによると、2019年の人口当たり書店数も石川県が1位です。

明治20年(1887年)から昭和25年(1950年)まで、金沢の中心市街地には第四高等学校がありました。
今でも建物の一部は、石川四高記念文化交流館として、その場所に残っています。 

そのころ、街中の老舗の和菓子やさんが四高生で賑わったという話もあります。
①森八
文化食堂という当時はハイカラな洋館店舗の白ぜんざいが四高生の定番だった。
②石川屋本舗(現在は郊外へ移転)
イートインコーナーがあり、四高生で連日賑わっており、四高をもじった「忠孝まんじゅう」という商品も販売された。

学生街というと、雑多でごちゃごちゃしたイメージもあります。でも、「学生が街の中にいて、活気のある雰囲気で、周りのお店も賑わっている。」とすると、理想的に見えてきます。学生も学校以外で、地元の人と交流する機会が増えるし、地元の人も若い人と触れ合う機会が増えて、いい相乗効果がありそうです。

この石引商店街付近には、さきのドンブリック8のような食事を安く食べられるお店が、むかしはもっとありました。時代の変化もあるけれど、大学の移転が影響していることは間違いありません。

少しかたい話になってしまいました。
石引には新しいお店もできているので、次回は楽しく石引商店街の【モダン編】です。

参考
「加賀豆腐大鋸本店パンフレット」
石引商店街振興組合ホームページ
「森八 三百八十年の夢 千年の夢」

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