金城霊澤 金沢の地名の由来は、金城霊澤。 芋掘り藤五郎が芋をこの沢で洗っていたところ、砂金が見つかったという伝説もあります。 ここは、金沢城の向かい、兼六園のすぐ隣にあたります。小立野台地の端っこです。 この霊水は、小立野台地からのわき水だと考えられています。 先日、「金沢の家」という心惹かれる名前の建築を見つけ、訪ねたのがちょうど小立野台地の下の笠舞という場所でした。 個人宅なので、内部は見学できませんが、外観は見ることができます。 モダンな外観で隣の伝統的町
前回、問屋町(といやまち)の入口にあたる場所に昨年できた金沢らしい建築を見ました。 問屋町は、問屋、卸売業者の集まった町です。 今回は、問屋町を見ていきます。 問屋町について 金沢の問屋町は、計画的に作られた町です。 街区を見ると、きっちりと作られたことが見て取れます。 江戸時代には、川筋、街道沿いに問屋が多く集まり、問屋街が作られました。 東京の隅田川沿いの浅草から蔵前、大阪の堀川沿いの船場、心斎橋筋などがいい例です。 物流に欠かせない交通に利のある場所に、蔵が
おもしろい建物にカフェがあると教えてもらい、見に行ってきました。 Cafe&Restaurant Nodeです。 正面には、アート作品があり、奥能登芸術祭の 作品を思い出しました。 さいはてのキャバレーは、奥能登芸術祭のインフォメーションセンターとしても使われています。 建物は、珠洲市と佐渡市をつなぐ定期船の待合室だったものです。 レトロ建築を斬新な形で活用していたのですが、今年の能登半島地震で被害を受け、解体されることが決まっています。 ややしんみりしてしまいました
久しぶりに、椿原天満宮へ参拝しました。 前田利家が金沢城に入城して以来、加賀藩は産土神(うぶすながみ)、土地の守護神としてこの神社を守ってきました。 椿原天満宮は、藩の庇護を特に受けていた「金沢五社」と呼ばれる5つの神社の筆頭格です。 椿原天満宮と地震 到着すると、驚いたことにものものしいテープが張られています。 遠回りすれば参拝できるとの矢印にしたがって進んでいくと、階段左側の狛犬がいなくなっていました。 狛犬は本当に死んでしまってたのかとよくよく見てみると、倒
加賀百万石と謳われる金沢。 6月には百万石祭りがあります。今年は、1日2日にありました。 パレードや盆正月というイベントがあり、そこでは伝統芸能の加賀獅子の演技も。 金沢の誇る伝統芸能 加賀獅子 加賀獅子は、江戸後期から人気となり、祭事には各町が競って獅子舞を繰り出していました。 黒船来航もあり、外国の脅威に対抗するため、でも徳川の目を憚りながら武術を修練する隠蓑だったという説もあります。 武術の要素が含まれていて、獅子に対して演技する棒振りが最後に獅子を打ちとりま
今回は、鏡花の生家のあった新町の通りを歩き、金沢の町家を見ていきます。 鏡花に興味ある方はこちらをご覧ください。 蕉門十哲、立花北枝邸跡から 久保市乙剣宮の入口脇には、立花北枝(たちばなほくし)邸跡の看板がひっそりと立っています。 北枝は、蕉門十哲の1人です。芭蕉が金沢に訪れたときに入門し、奥の細道の旅に1ヶ月弱同行しています。 芭蕉の有名な句「あかあかと日はつれなくも秋の風」は、この下新町の北枝邸ではじめて披露されたとの説が有力です。 金沢で詠まれたということで
金沢といえば、しっとり茶屋街。 ひがし茶屋街、にし茶屋街のほか、浅野川沿いには主計町茶屋街もあります。 新緑の季節。主計町茶屋街散歩がてら、久しぶりに主計町緑地を訪ねてみました。 江戸時代の地図を見ると水路がありますが、これは金沢城を守るためのお堀です。 お城の東側にある二重のお堀の内側なので、東内惣構と呼ばれています。 以前は歩けなかった奥の部分が整備されて、惣構が見やすくなっていました。金沢も日々進化をしています。 主計町茶屋街の中を通り抜けると、階段が見えて
※2024年1月1日の能登半島地震のため、今回、記事を有料とし、復興支援に寄付をすることにしました。ご理解のほどよろしくお願いいたします。 金沢の冬といえば、雪吊りの兼六園。 雪吊りは、水分を含んだ北陸の重い雪で木の枝が折れないように保護するものです。 金沢の雪吊りは、木の芯に縄を張り巡らせるタイプです。 お隣の富山県へ行くと、低木にガチっと竹が並んでいたり。 豪雪地帯として知られる新潟県十日町市でも、縄でなく全てしっかり竹や木で組まれた雪囲いが見られたりします。
師走も半ば、いよいよ寒くなってきました。 兼六園では、序章で見たことじ灯籠も、雪帽子姿になる日が近づいています。 兼六園は、江戸時代に加賀藩主によって作られた大名庭園。 ポートランド日本庭園は、日本の高度経済成長期に作られたアメリカの本格的な日本庭園です。 前回見たことじ灯籠の他にも、共通点はいろいろあります。 今回は、兼六園の兼ねる6つの特長の「人力」にあたる建物を見ていきます。 プロムナードにある隈研吾氏の建築 〜見城亭〜 兼六園の前には、茶店が並んでいます。
金沢といえば、兼六園。 兼六園は、日本三大名園のひとつです。金沢出身者としてひいき目もあるかもしれませんが、三大名園のうち1番だと心密かに思っています。 名前の由来、「六勝(兼ねることの難しい6つの景観)を備えている」ということで、表情豊かな庭園です。 この夏、オレゴン州ポートランドに滞在していたとき、日本庭園欠乏症となり、ワシントンパークにある日本庭園へ行ってみました。 庭園からは、高層ビルと街のシンボルとも言えるフッド山が眺められます。 ここは、六勝では「眺望」
金沢は、能楽で有名です。 能楽堂や能楽美術館もあります。 加賀藩には、2大神事能と呼ばれる神事能がありました。 1つは、江戸時代から400年以上の歴史を持つ大野湊神社の神事能。今でも毎年5月15日に催されています。 ※戦時下、コロナ下では一時的中断もありました。 もう1つは、その存在がかなり忘れられてしまっていますが、観音院の神事能です。今日この日、11月朔日(1日)に催されていました。 江戸時代から250年間にわたり、1度も欠かさずです。 宝暦9年(1759年)3月
秋です。 オテラート金澤の季節です。 オテラートは、オテラ+アート。お寺とアートを掛け合わせた期間限定のアートイベントです。 以前まわったときの様子はこちら。 今年は、寺町寺院群、卯辰山山麓寺院群に加え、小立野寺院群の天徳院でも開催されています。 天徳院 今回は、天徳院へ。 今でも、広い敷地の天徳院ですが、江戸時代はさらに広大で四万坪を誇りました。 東京ドーム3個分、テニスコート500面以上分です。 そんなにお寺の規模の大きい訳は、加賀藩主前田利常の正室、珠姫の菩
一年前にはまったく想像もしませんでしたが、いろいろな縁があり、現在ポートランドにいます。 ポートランド ウィラメット川という川が、街の中心を走っていて、面白い橋がたくさんかかっています。 跳ね橋だったり、2段になっていたり、トラム、歩行者、車、自転車がうまく通行できるようになっていたりと、橋だけでも楽しめます。話をするとキリがないので、次へ。 ポートランドは西海岸側の都市です。 先住民以降の移民してきたアメリカ人の歴史としては、19世紀初頭から始まります。 その頃は
金沢城公園の一角には、玉泉院丸庭園があります。 金沢城では、いろいろな種類の石垣が見られます。 個人的には、ここにある「色紙短冊積」といわれる石垣が、他にはない石垣で、1番の見どころだと思っています。 玉泉院とは、織田信長の四女、永姫の院号(戒名)です。 永姫は、織田信長の四女で、加賀藩前田家第2代利長へ輿入れしました。 利長の亡くなった年に剃髪し、玉泉院の院号をもらいました。 玉泉院が住んでいた場所なので、玉泉院丸庭園と名付けられています。 玉泉院の位牌所となった
石川県立図書館へ久しぶりに行ってきました。 石川県立図書館は、去年7月16日に新しい建物へ移転し、新しいスタートを切りました。 図書館建築と伝統工芸品 入口は、いくつかあり、正面から見るとフラットなモダニズムを思わせるフォルムです。 正面の左側面にあるアプローチは、和の格子を組み合わせているけれど、幾何学的で連続しているところから無限という印象を受けます。 脇には読書の庭があり、今の時期、お花も咲きそろっていて爽やかに過ごせます。 ここから、建物をよく見てみると、
京都で偶然、加賀藩邸跡の看板を見つけました。 三条あたりの高瀬川沿いです。 高瀬川は、江戸時代につくられた京都と伏見をつなぐ物流のための運河です。 そのためか、四条から三条までの間には他にも土佐藩、彦三藩の藩邸の石碑も見かけました。 江戸の加賀藩邸は、赤門もありその存在が知られています。 江戸には将軍、京都には天皇がいます。 考えてみれば当たり前なのですが、都である京都にも加賀藩邸がありました。 朝廷や各藩との交渉をする留守居役が駐在していたところです。 江戸後期の