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私の前から「たぬき」が消えていった

最近愛するペットをなくした自分のためにも書いてみようと思う。
もし、同じように大切な存在を失って悲しくて堪らない人も元気になれたらいい。

今日で、命の恩猫の「たぬき」が亡くなってちょうど1ヶ月。

生きものを飼うということは、いつか別れの時が来ると分かっていたつもりだったけど辛い、辛すぎる。
猫の「たぬちゃん」は男の子。いや、14歳だったからお爺ちゃん。
初めて出会ったのはペットショップの新春初売りセールだった。


ちょうどその頃、私は脊髄の進行性の難病を発症してしまった。インテリアコーディネーターの仕事をしていたが、仕事が楽しくて寝ないで一生懸命働き取引先も増え、念願だった会社を起業し、軌道に乗った矢先のことだった。


発症して僅か一年で、車いすがなくては外出も出来なくなった。仕事も出来なくなり、全てを手放して、することがなくなった。悲観的になり世の中からポツンと取り残されたような気持ちになった。


1人で何も出来ないと思い込み、外出も次第に減っていき、いわゆる引きこもりのような状態が続いていたのだ。

#スキしてみて

運命の出逢い

そんなことをしていた年のお正月に気分転換にペットショップの初売りに行った。
もちろん、ペットを買うなんて気はサラサラなかった。


元々犬派でもあり生き物が大好きな私は、お店の中にいるだけで癒された。
そこに「値引き処分セール」と大きく張り紙がされた、顔が涙でべちゃべちゃの汚い猫が目に入った。鼻はペッチャンコで全身長毛の白髪。仕草をずっとケージ越しにみていたら、急に夫が「連れて帰ろうか」と言い出した。

「駄目だよ。私は自分のことも満足に出来ないのに猫の世話なんかできないよ」と呟くと「俺が全部世話するから。このまま売れなかったら処分されるかもしれないんだよ、かわいそうだろう」と熱い眼差して訴えて来るので押しきられて家に連れてきた。売れ残りで30000円のところを更に値切って25000円にしてもらった。


家に連れて来て、名前が決まるまで「にまんごせんえん」と呼んでいた。もちろん返事はしない。結局、次男の「和輝」の弟分として「たぬ輝」と命令。実は血統書付きで「ダンボオブ・ウィンドウベル」という名前がついていた。れっきとしたペルシャのチンチラシルバー。しかし、我が家に来て一度もそんな名前で呼んだこともなく、すっかり忘れていた。


病院に連れて行った時だけは「たぬきさ~ん」と呼ばれ、周りの人が笑っているのが恥ずかしかった。汚かった顔も毎日拭いていたら綺麗になった。性格も穏やかで滅多に声を出さないが鳴くと優しい声だった。

何よりも綺麗好きで、トイレの始末も念入りに汚さず上手にしていた。爪とぎもペットショップで買ってきたもの以外は使わず家具を傷つけることもしなかった、お利口さん。

唯一歯磨き代わりにビニールをかじって歩く悪い癖があった。家中のビニールがブッチブチに穴あき状態。そのせいで歯はお爺ちゃんの癖に虫歯も歯周病もなかった。

あっという間の14年

たぬきと過ごした14年間。思い起こすと落ち込んで下らないことに一喜一憂していた私の支えになってくれていた。今、元気な私になれたのは彼のお陰と言っても過言ではない。


飼い慣れてきたら、すっかり猫の自覚がなくなり家族の一員として生活。朝起きるとドアの前で待っていて、「新聞!」というと玄関に向かう。キッチンで料理をしていると必ず一緒に横にいる。トイレに行こうとすると、先導して先に行って待っている。シャワーが好きで、人が入ろうとするとついてくる。そのくせ手に水をかけたら逃げていく。でも、ドアの外で待っている。

玄関にお客さんや宅配が来ると一緒になって迎える。まるで犬のような猫だった。ご飯の時は自分専用のいすに座り一緒にテーブルにつく。亡くなる1ヶ月前には、私達の晩酌のグラスに顔を突っ込むので、専用のグラスに水を入れてやると自分も晩酌気分で付き合うようになった。

余命宣告を受けてから


実は半年前に余命宣告されていた。頻繁に吐くようになり、血が混ざっていたので病院に連れていったら、胃の横に大きな腫瘍があり圧迫されているとのこと。手術は無理と言われ胸が締め付けられるほどショックだった。昨年9月の末だった。先生は年内いっぱいは持たないかも知れないという。吐き気と炎症を抑える薬を1ヶ月分もらって飲ませてなんとか少し元気になった。酷い話が、1ヵ月後にまた、薬をもらいに行くと「1ヵ月分だして、後から返品はできないから」と言われた。「1ヵ月以内に死ぬのに無駄じゃん?」と言われているようで悔しかった。それでも毎月、勝った気分で薬をもらいに行っていた。


それまでは、キャットフードとマグロの刺身以外はやらないようにしていたが、欲しがるものを何でもやるようにした。余命宣告された割には、卑しい。いやしい、いやし系。


焼き魚、煮魚も「ちょうだい」をして美味しそうに食べる。シーチキンの缶詰を開けるとキャット缶と間違って飛んでくる。やっぱり猫だと思ったが、牛ステーキやジンギスカンまで食べるのを見て、先祖はライオンかと驚く。バナナが大好きで、しまいにケーキやプリン、アイスクリームまで喜んで食べるようになった。そうしたら、ガラガラだったのに、少し肉がついて体力も戻ってきた。


結局お正月も無事に過ごすことが出来てちゃっかりお節料理をつまみながら晩酌もしていた、たぬちゃん。

ついにお別れの時がやってきた

4月に入って、あるきっかけで電子書籍をだそうと思いコロナの影響でできた暇な時間をひたすらパソコンに向かって原稿を書いていた。必ずたぬちゃんがパソコンにピタッと張りついて寄り添ってくれた。しかし原稿を書き終わった夜に体調が急変。舌が真っ白で動けなくなり、失禁。そして血の嘔吐。いよいよ嫌な予感がして、「今日は寝室に連れて行って一緒にいよう」ということになったが、やはり慣れなくて落ち着かないのか這うように、いつものリビングの定位置に戻っていった。朝まで心配で何度も様子を見に行ったが呼吸をしているのでホッとしてまた休んだ。朝5時過ぎに私が起きて行くと、ムクッと立ち上がり2、3歩欽ちゃん走り(萩本欽一さんのコントの走り方~若い人は知らないだろうな)で、私に向かって突進したかと思ったら、力突きて倒れた。「待っていたの?」お母さんが起きてくるのを待っていたんだ。いじらしくて涙が溢れ出てきた。そっと抱き上げしばらく撫でながら「ありがとうたぬちゃん。たぬちゃんのお陰でお母さん、元気になれたのだよ。ありがとうね」と何度も話しかけていたら安心したように静かに息を引き取った。コロナのせいでずっとstayhomeだったから、2か月以上ずって寄り添っていられたし天国へ私の腕の中から旅立ってもいけた。
その日、小さな骨になって帰ってきた。喪失感半端ない。しばらくご飯も食べたくないし何もする気が起きなかった。あちらこちらに残像がちらつき、涙が溢れてきた。食卓テーブルにもいつもの席に彼はいない。呼んでも来ないことが分かっていても「たぬー」と一日中叫んでいる。

神様からの指令を受けてきた~ミッションクリア

そんな、腑抜けの日を過ごしていたが、やらなければいけない仕事が入りパソコンに向かう。
そこでハッと気がつく。いつも仕事をする時にパソコンの横でたぬちゃんが見守ってくれていたっけ。私、何やってるんだろう。泣いてばかりでやる気起きずにパジャマ着たままゴロゴロしてる。たぬちゃんが家に来る前の頃に戻っちゃってる。いけない!たぬちゃんが私を立ち上がらせてくれたのに今までのことが水の泡じゃないか。しっかりしなくては、たぬちゃんに叱られる。
そう思った私はパソコン待ち受け画面に大きくたぬき画像を貼り付けた。なんと不思議と喪失感が消え、いつもそばで見守ってくれているように思えるようになった。


これからも頑張って生きていこう。たぬちゃんは神様から指令を受けて私を助けにきてくれた。難病を発症してから16年、辛かったことや葛藤の軌跡を客観的に活字に残して書籍に出来るようになったことを見届け、ミッションクリアして神様の元に帰っていったのだ。ありがとうたぬちゃん。
私と同じような、愛するペットを亡くした方へ。どんなにか辛くて寂しくて堪らないと思う。きっと意味があって巡り合えたのですよね。その子の残してくれた大切なものを宝物として無駄にしないように笑顔で生きていけますように。

今日はたぬきのために朝から市場で鮪を買ってきた。姿は見えないけれど食卓でいつもの席で一緒に食べているはず。美味しいでしょたぬちゃん。さあ、今日も頑張ろう。

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人生絶好調の時に車いす生活になりました。一時は必要のない人間になったようで社会からも残された気がしていました。でもできることを一つ一つクリアしていくことで人生楽しくなりました。泣き笑いの貴重な経験をインクルーシブ社会への実現のために発信していきます。応援よろしくお願いいたします。