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距離間


「大事にされてる、って、感じ方は、人それぞれだよね」

いつだったか
友人との対話の中で、私が受け取った言葉


何か、形がある物をもらうとか
親身になって話を聞いてくれるとか
自分だけに向けて言葉をくれるとか
理解を示してくれるとか
傍に居てくれるとか
見守ってくれるとか
愛してくれるとか


私は、その時
誰かに大事にされたいと
誰かを大事にしたいと
思ってたのかな?

わからないけど
そうでなくても
その違いに
悩んでた時だった

「私は
こうされたら嬉しいから
相手にも、そうする」

「私は
こうされたら嫌だから
相手には、しない」

それは
「私」による
一方的な、押し付けでしかないんだなって

相手が求める形でなきゃ
相手は満たされないんだと

その形が
わからなくて
もがいていたんだ

知ろうとすれば
壁を打ち破らなくてはならず

それが
相手にとって
どういう作用があるのか?

それすらも
わからない距離間で
踏み込んでいいのか?

終わってしまうのか?

何も始まってもないのに?

時々
やってくる「ヒント」や「サイン」を
見逃さないように
アンテナを張って、うかがってる

あちらと
こちらの距離を測ってる

ぴったりになる瞬間を
見極めようとしてる

相手を知ろうとすること
自分を知ってもらうこと

同じ分量でなくても
形が違っても

そこに
あるのは
目に見えない愛だと

そのあとも
いろんな場面で

いろんな人との対話で

それぞれの人と感じる

それらを「愛」と表現してしまったら
罪ですか?

愛は「1つ」じゃなきゃだめですか?

しばらく自問自答した


そしたら次は

「人間愛」かな?って
教えてくれる人が現れて

それで私は
ちょっと
ほっとして

それが正解であろうが無かろうが
ほっとしたなら
今は、それでいいかって思ったんだ

それが
その人との距離で
その言葉だったり
そこに至るまでの対話と
会いに来てくれたこと
私の存在を知ってくれて
出会ってくれたこと

私が欲しかった言葉を
届けてくれたことを感謝した

この先も
考え続ける

いろんな「愛」の形

目の前の人との距離間(距離感)

もとめられるもの
もとめるもの

出会った意味を

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