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「なぜ家庭教育なのか」「なぜ親子対象なのか」

「なぜ家庭教育なのですか?」
というご質問をよくいただきます。

私は、オンラインを活かし家庭をつなぐ学びの場「子ども時代からのリベラルアーツCo-musubi」を主宰しています。


2022年1月時点で20歳と15歳の姉妹の母でもあります。

そして子ども時代、幼稚園から大学を卒業するまでずっと、学校が苦手な子どもでした。

長女が生まれ、「この世にこんなに可愛らしくて大切な存在がいるんだ。」と初めての感情に驚き、この子の幸せな人生を強く願い「どう育てていこうか。」と考えました。

私と同じような「学校が苦痛だ。」と葛藤し続ける子ども時代を過ごさせないためには、どうしたらいいだろう。

そうして子ども時代を思い返していた時、ふと気づいたことがありました。

私が学校が苦手だと感じていた理由は、学校だけにあったわけではなく、他にもさまざまな複合的な要因があっての結果だった。

私のケースで言えば、私自身に、もっと思考する力やことばで伝える力、勇気を出して飛び出す行動力があったら、私自身も周りの大人ももっと楽に生きられたし、未来を自分の手で変えることもできたかもしれない。


「今できること」そしてこの問いをたどったその根っこにある「子ども自身の内側が育つことの大切さ」
その答えは「家庭」にある。
その気づきがスタートでした。


もうひとつ、
「なぜ、対象が『親子の学び』なのですか?」
という質問もいただきます。

これも原点は私の子ども時代にあります。

私は子ども時代から、少し先の未来を予測して逆算して考える思考の癖がありました。
私の頭の中に浮かぶ少し先の未来には、個人としても社会としても必ず変化がありました。

しかし、なぜか身近な大人の人たちはみな、「自分」の「過去」の経験や「現状」から「こういうものだ」といわゆる「常識」でこの世界を見ていて、10年20年30年先もそのまま変わらないものだと思っているように感じられました。

この違いについて当時の私は、「私が変わり者なんだ。」そう理解していました。

なぜなら、長い人生の中でたくさんの経験をしてきた「大人」は、「正解を知っている」という思い込みが、疑いもせず私の中にあったからでした。

とはいえ、大人たちの「期待」は、私自身が「自分の人生を生きる」と思えるものではなく、納得とは程遠いものでした。

しかし、愛情深く大切にしてくれているたくさんの大人たちの「未来への期待は裏切れない」
その葛藤が、短絡的な形で長く激しい反抗期として表出しました。

大学生になり、社会人になり、結婚し、出会う大人の範囲も広がりました。それでもなお
「なぜその(人の)常識を押し付けてくるのだろう?」
と、未来から逆算すると無責任に感じる「アドバイス」に悩むことは続きました。それって誰得なんだろう?と。

「なぜだろう?」

何年もその問いに向き合い続けながらも、大人になってからは「自分が正しいと思う選択」をし、結果として「それでよかった。」という経験を何度も積み重ねることができました。

そしてある時ふと気づいたんです。

「大人だって正解を知らないんだ。」

というアタリマエのことに。

年齢的に「大人」の私も、そして保護者である誰もが、生き方も未来も、地面の下も空の上のこともほとんど知らない。


さらには、積み重ねてきた「自分」の「過去」の「経験」によって、知らず識らずのうちに分厚い思い込み(アンコンシャス・バイアス)のメガネをかけ世界を見るようになってしまっているのが大人かもしれません。

そのことに、まず大人である私たちが自覚的になる必要があります。

だから「親子」が対象です。

人が100人いれば、100人なりの理由と納得解がある。

一緒に考えてみよう。探ってみよう。経験してみよう。話し合ってみよう。

家庭がこのようなラーニングコミュニティになったら、子どもたちは自分で未来を拓いて生きていこうという精神が育ちます。

「答えは自分の中にある」

そして

「私たちの中にある」

私たちはそうやって精神的に自立したうえで、支え合って生きていけるといいな、と思います。
















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