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小声コラム#7 お笑いについて


近頃、お笑い芸人さんへの尊敬の眼差しがどんどん熱視線になってきている。

お笑いは物心ついたころから身近にあった。
はじめてこれはお笑いだと自覚を持ったのは、テレビ番組の笑う犬の葉っぱ隊だったような気がする。そのあとたくさんのお笑い番組を見てきたが(面白そうだから今度振り返ってみよう)、それは意識して見ようとしていたわけではなく、ただテレビをつけたとき、あの番組やってるわ!みたいな感じで見ていただけで、何も考えることなく笑っていた。
しかし、今ではテレビすら見なくなったので、お笑い番組、バラエティ番組を見ることはほとんどなくなってしまった。

にもかかわらず、僕がなぜお笑い芸人さんへ熱視線を送るようなったのかというと、たまたま見ていたIPPONグランプリで、松ちゃんこと松本人志さんが

「なんでおもろいんやろ。」

とポツリとつぶやいたから。
笑いを生み出すための感覚の研鑽をそこにみたからである。

こんなことを書くとお笑い通ぶってるみたいに思われるかもしれないが、お笑いを分析したり講評したいわけではない。また、お笑い芸人さん側からすると、素人にそんな風に見られるのは芸を純粋に芸として受け止めていないため、煩わしいだろうとわかっているつもりだ。

とはいえ、一介のものづくりに関わる人間として飯を食わせてもらっている身としては、やはりそういう点に着目してしまう。

僕の仕事は広告をつくることだが、面白いことや人を笑わせる企画をつくることは、かなり難しいことだと身をもって知っている。(すべり倒しているから。笑)

もちろん技術論はたくさんあるのだろうけど、笑いについては、特に感覚に頼ることが多い気がする。
だだっ広い鉱山の中から、これ面白いんじゃね?という原石を発掘する嗅覚と、ダイヤモンドにする技術、さらにはそのダイヤを売れるように魅せるところまでやるのがお笑いだ。
企画から制作、納品まで全部を担っているわけだから、そりゃ尊敬もしたくなる。

お笑いに限った話ではないが、見えないものを追求するするのは苦しいし、不安だ。

でも、やめない。
そういう人たちが心の動きをつくりだしているのだ。

笑い、あるいは人間 って不思議な世界だなあと、
つくづく思う。


#7 お笑いについて

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