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小声コラム#44 使えない言葉がある余白

大人になってから初めて知る言葉はたくさんある。

曲いなりにも言葉を扱う仕事をしているので、言葉を知る機会は多いのだけれども、大人になって知る言葉のほとんどが覚えられないし、すぐ忘れてしまいがち。

たとえば最近知ったのは「馥郁」「宏観」など。
(そもそも使いどころはあまりないけど)

もちろん意識的にその言葉を覚えようと毎日反復すれば覚えられる。けど、試験でもない限りはそんなことはしない。

そこでふと思うのは、自分が使える言葉の数には限りがあるのではないかということ。
話したり書いたりする際に、ごく自然に使える言葉は実は限られているのではないだろうかと思う。

どうでもいい流行りの言葉は頻繁に耳にするから覚えることもあるけど(エモいとかそういう類)、正直そういった類の言葉は覚えたからといって、何かを言い当てるために使えるとは思えない。

言葉は何かを伝える道具であって、その何かに相応しい言葉を選ぶ必要がある。

新しい言葉を知る度に、その言葉が身につかないことに落胆してしまうのは、伝えたいことをよりそのままに伝える言葉を持ち合わせていないことに気づいてしまうから。

僕がここに書いている内容も何かを表したくて書いているものだけれども、いつもその何かとは程遠いような気がしてしまう。

もちろん、伝えるための文章は言葉だけでなく、全体の構成や一文の順序など、いろいろな要素によって成り立っていることは理解している。工夫すれば簡単な言葉でも伝えたいことはある程度その形になる。

ただ、自分のモヤモヤした何かを自分に伝えたいときとかに、納得させられる言葉を持っていないことが、なんだかとてももどかしい。もどかしいまま終わるのがもどかしい。

でもその感覚があってよかったと思う。
いつだって完璧な言葉を使えているわけじゃないってことを前提とすれば、自分に対しても誰かに対しても、コミュニケーションに余白と余裕が生まれる。
のではないかと思う。

使える言葉を増やすことも大切だけど、使えない言葉があることの愛おしさも大事ということ。


#44 使えない言葉がある余白

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