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小声コラム#15 『突然のコール』というスパイス

夜中に突然電話が鳴って「いまからちょっと散歩でもしようよ!」なんて言われるのが、とても好きなタイプらしいです。(ほぼ、いや限りなくないけど。)

仲が良いとまではいえない人との遊びや、会社関係の飲み会は、何かに付けて回避しようとするタイプの人間である私です。
しかし、気心知れた友人はもちろんのこと、そういった微妙な関係性の人たちにおいても『突然のコール』は、なぜか僕をワクワクさせるのです。

とは言うものの、お風呂でさっぱりしたのち、ベッドの中で抱き枕をぎゅーっと抱えた睡眠への臨戦態勢になっていると、さすがにここから外へ繰り出すのは腰が重すぎて断ることも当然あります。
それでも「えー、お風呂入っちゃったしさ〜」っていいながら時間を稼ぎ、なんならその電話がかかってきた喜びを噛みしめながら、行くか行かぬか葛藤します。

なぜ『突然のコール』になると、喜びひとしおになるのか。ちょっと考えてみました。
それは"事件性"と"個の接近"がスパイスになるのではなかろうかと、僕は思い至りました。

まずは"事件性"
そもそも人は決まった予定があると、何かしら準備をするものだと思います。15時に三軒茶屋でカレーを食べるという予定があれば、「白の服はやめておくか」「電車の時間調べないと」みたいな、予定のシーンを想像して思考するはずです。
でもこれが突然となると、事前準備をする時間がない。あるいは想像が色んな方向に拡散してしまう。
『突然のコール』には、"何かが起こる。ただ何が起こるか確実ではない"という一種の事件性を秘めているので、いつもよりドキドキしてしまうのではないでしょうか。

もう一つが"個の接近"
自分と誰かの間には関係性というものが必ず存在します。その関係性には感覚が伴うと僕は思っています。自分と会社の上司だと、間にある会社という関係がドライなイメージを漂わせます。(人それぞれですが。)
それが『(プライベートの)突然のコール』だとその関係性を一気に超えてくるわけです。(仕事の突然のコールだともはやフリーズドライですが。)
あ、自分のことがその人の頭に浮かべてくれたんだなという、個としての接近を感じるので嬉しくなってしまうのですね。おそらく。

ここまで書いてあれですが冒頭に書いた通り、僕は『突然のコール』限りなくないです。(笑)
羨ましいなと思うことや憧れている理由をなぜかと考えるくらい、物事をメタに捉えてしまうの性格が、理想との乖離をつくる一因なのではないかと思います。
つまりメタに捉えすぎる人とは、一緒にいても"今この人と一緒にいる"という実感が持ちづらく、薄味な関係性になってしまうのではないかと思うのです。(まあ、薄味すきなので無理には変えようとも思いません。)

というわけで、『突然のコール』くださいという話でした。


#15 『突然のコール』というスパイス



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