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2021/9/8 かけがえのないあなたと私のコンビニ飯

いい感じで育児と家事をパートナーと分担できている弊家族。が、片方が体調不良になれば、もう片方が全部を担うことになる。
この日は彼の具合が悪く、保育園のお迎え・食器の片づけ・娘の入浴といった彼のタスクも私が担当。仕事がそこまで忙しくないとはいえ、やはりひとりでやるとなかなかのボリュームだ。
そこで夕ごはんは、コンビニで調達。具合の悪い彼には野菜タンメン、私はグラタン、子はパスタ。
丁寧な暮らしを目指すなら、野菜たっぷりの雑炊でも作るのが正解だろう、が、現在うちにはサラダ用の野菜しかなく、買い物にこれからいく時間があったら、その分はのんびりしたい性分。丁寧な暮らしとはずいぶん遠い。

そんな夕飯の席で、娘がとても楽しそうだった。普段の夕食にパスタを出さないのもあるのか、何度も美味しい美味しいと言葉にする。口のまわりにパスタのソースがねっとりついて、鏡をみながら(私の化粧用の卓上鏡をみながら夕飯を食べるのが趣味だ)そんな自分の顔をおかしそうに笑って、みかねてティッシュで拭くときれいになった口元をみて、またにっこりと笑う。

私はコンビニのグラタンを食べながら、娘に今日何があったの?と聞いた。

「積み木!」
「そうなんだ、何作ったの?」
「おうち。パパとママと○○(自分の名前だ)のおうち作ったのー!」

ちょうどその日読んでたいそう感激したのがヘミングウェイの「移動祝祭日」という、彼が自死する前に最後に遺したエッセイだった。
ノーベル文学賞を取り、裕福になった彼が拳銃自殺する前に振り返ったのは、最初の妻とのパリでの貧乏暮らし。

下着代わりにスウェットシャツを着て寒さをしのいだところで、それがなんだというのだ、と私は思っていた。それを変に思うのは金持ちだけだったろう。私たちは金を使わずにたっぷり食べ、金を使わずにたっぷり飲み、暖かい眠りを二人で存分に味わい、こころゆくまで愛し合ったのである。
(中略)
二人とも、夜中に二度目を覚ましたのだが、妻はいま月光を顔に受けて安らかに寝入っていた。私はその空腹感の問題にケリをつけたくてたまらなかったのだけれども、頭がついていかない。その日の朝、目を覚まして偽りの春に気づき、山羊飼いの男の笛の音を聞いて外に出てから競馬の新聞を買ったときは、人生が単純そのものに思えたのに。
だが、パリはとても古い街であり、私たちはまた若く、そこでは何一つ単純なものはなかったのである。たとえそれが貧困であれ、突然転がり込む金であれ、月の光であれ、善悪であれ、あるいは月光を浴びてかたわらに横たわっている女の息遣いであれ。
アーネスト・ヘミングウェイ「移動祝祭日」

この時代を一緒に過ごした妻とはのちにヘミングウェイの浮気が原因で別れることになった。

「移動祝祭日」はこんな言葉で締めくくられている。

それが、パリ暮らしの第一幕の終わりだった。パリはいつもパリなのだが、すべてが元通りでは決してない。パリが変わるにつれてこちらも変わるのだ。その後私たちは二度とフォアアールベルクにはもどらず、リッチな連中もそこから遠ざかった。
パリには決して終わりがなく、そこで暮らした人の思い出は、それぞれに、他のだれの思い出ともちがう。私たちがだれであろうと、パリがどう変わろうと、そこにたどり着くのがどんなに難しろうと、もしくは容易だろうと、私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。が、ともかくもこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃の物語である。
アーネスト・ヘミングウェイ「移動祝祭日」

果たしてヘミングウェイは、このパリの生活が死ぬ間際に思い浮かべるほど、人生最良な時だったことを当時気づいていたんだろうか。

残念ながらそうではなく、このエッセイを書きながら、失ったものの大きさに絶望したのではないか。
そんな意地悪な見方をして、文章の美しさと切なさに溜息をつきながら、本をとじた。

ただヘミングウェイが書き残してくれたから、私には分かる。私が死ぬ間際に振り返るかもしれないこと。それくらい、かけがえのない、愛しい娘とのコンビニ飯。

最上級の幸せがもうこの手の中にあるのに、それを時々忘れそうになる。






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