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41/100 伊集院静「大人の流儀」/人には、本当に、それぞれの事情

「赤信号を渡ってはいけない」
そんな聞き慣れた言葉でさえも、たとえば近親者を事故で亡くした方が言葉にすると、重みは違う。

伊集院静「大人の流儀」でいちばん印象に残ったのは、白血病で亡くなった彼の妻、夏目雅子が亡くなった日のことを綴った一節だ。

「いろいろ事情があるんだろうよ・・・」
大人はそういう言い方をする。
なぜか?
人間一人が、この世を生き抜いていこうとすると、他人には話せぬ(とても人には言えないという表現でもいいが)事情をかかえるものだ。他人のかかえる事情は、当人以外の人には想像がつかぬものがあると私は考えている。

こんな書き出しから始まるこのエッセイは、幼い日に見かけた痴漢を母に報告したら「よほどせんない事情があるんだろう」と諭されたエピソードと、妻に亡くなった日に、自分が捕まえたタクシーを見知らぬ親子に譲った、ただそれだけのことが書かれている。
とても短い文章なのに「人はそれぞれ事情を抱え、平然と生きている。」という〆の文章の説得力が凄まじく、読み終えてしばらく、本当にそうだな、と呆然とし、そしていま、自分が事情を抱えていた時のことを思い返す。

ここ数年でいちばん事情を抱えていたのは離婚する前だ。子を持った後の生き方で前夫とソリが合わず、ただ本当にそれだけだったから、自分のことながらとても戸惑った。

ある時、ひとりで生きていくには私は弱すぎる、それを実感しようとひとりオーストラリアのエアーズロックに行くことにした。ただ肝心の「ひとりで生きていくには弱すぎる」を実感する前に、冬のオーストラリアは凍える寒さ。薄着しか持ち合わせていなかった私にはとにかく寒く、特にテント泊した夜は朝がくるのが狂おしいくらいに待ち遠しく、結局私がその旅で何より実感したのは、陽の光のありがたさという顛末だった。

帰りの飛行機で機内が暖かいことに安堵しながら、ただ旅の目的が果たせてないことに呆然とした。そんな時、隣席の初老の外国人男性に話しかけられ、そして聞かれたのだ。

“So did you enjoy your trip?”

他愛もない質問なのにとても戸惑って、ただ、Yes以外に返す言葉はないように思った。

“Yes, I’ll come back, someday.”

そう口にしながら、果たしてそれは今度は夫となのか、それとも、と自問自答した。あの時、私には未来がちっとも見えなかった。
結局離婚し、その後再婚した今でも、こう思い返すと、あの時の得体の知れない不安が生々しく蘇る。

人はそれぞれ事情を抱え、平然と生きている。

そう思う。


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