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33/100 田丸久美子著「シモネッタのデカメロン」/感性の変遷と惰性、そして心の痛みについて

妊娠する前の私は不倫・三角関係なんていうねじれた性愛を取材しては文字にしていて、ライター時代の名刺にも「得意分野:婚外恋愛」なんて書くほどだった。
ところが子が産まれおかあさん歴が長くなるにつれ、そういった話にあまり興味が持てなくなった。イタリア人男性の奔放な性愛について綴られた田丸久美子さんの「シモネッタのデカメロン」も少々前の私なら「面白いよ!」と皆に薦めるような絶妙な内容なのに、今は「本国に妻子を残し出張先で我先に吉原に行く」なんて話に少々の嫌悪感を感じ自分でも困惑。

それでも読むのをやめなかったのは何故?というと、やはり文章の妙だ。うっすらと嫌悪感を持ちながらも、田丸久美子さんの絶妙な語り口に乗せられついつい読んでしまう。そして最後まで読み切ってやれやれと思ったその時、はっとした。こんな下ネタがオンパレードの本編の最後に、ガンで亡くなられた作家、米原万里さんと田丸さんが過ごした、最期の1年について書かれた「文庫版あとがき」が載っていた。

彼女との丁々発止の言葉のラリーを楽しんでいるとき、ふと足元に目をやると、彼女のスカートの下から、厚手のサポーターが少し覗いているのが見えた。暑い夏、こんなサポーターを巻くほど足が冷えるのだろう。既に大作家の地位も築いた彼女が、体調がすぐれない中、やっと二冊目の本を出す私のために無理をしてくれているのだ。だが、元気一杯のイメージを維持しようと頑張ってくれている万里に、サポーターが出ていることを指摘することも、体調を気遣う問いかけをすることもできなかった。
田丸久美子著「シモネッタのデカメロン」
五月二十三日、介護の人が、私の来訪を耳元で告げると、彼女は、混濁した意識のなかで、絞り出すように「あ・り・が・と・う」と言った。二人きりになった私は、彼女の冷たい手を握り、名前を呼びながら子供のように泣きじゃくった。その声に驚いて目を見開いた彼女は、今度ははっきりした声で「そんなに泣くなよ」と私を慰めてくれたのだ。これが”エ勝手リーナ様”の最後の命令になった。
田丸久美子著「シモネッタのデカメロン」

イタリア人男性の奔放な性愛に関するエッセイを読んだ後、大切な人を失う心の痛みをひしひしと感じるのはまったくの想定外で、今、とても、困惑している。

あんなに興味津々だった性愛に前ほど関心が持てなくなった。それでもそんなジャンルのエッセイを惰性で最後まで読んだら、そこには敬愛する作家、米原万里さんの最期の1年が綴ってあった。

本当は別のことを書くはずだったのだけど。

願わくば私の大切な人がずっとずっと長生きしますように。田丸さんの痛みを感じながら、だけどシンクロしたくない、そんな心持ち。


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