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個体差があります


『普通』という言葉が嫌いだ。


「普通はこうするよね」「普通はこう思うよね」の後ろに隠れている(時には隠されてさえいない)「なのに、どうしてこの子は…」にうんざりする子ども時代を過ごしたからだろう。

「私、こども好きなんだー」という人が頭に思い浮かべるような子どもの特性を、私はことごとく持ち合わせていなかった。
「素直じゃない」「可愛げがない」「普通は…」「子どもって…」「普通の子は…」幾度も言われた小さな棘のような言葉。

子ども時代の私は、その言葉を口にする人に、ではなく『普通』にできない自分にうんざりしていた。
どうしたら『普通』になれるのか、ずっと考えていた。


『普通』なんて幻想だ。標準偏差の値の大小こそあれ、どんなものにだって裾野の値をとるものはある。と、心の底から気づいたのはいつだろう。

もう『普通』であろうとしなくなった私は『普通』という言葉さえ口にしなくなった。


なのに。
なのにだ。

今の私は毎日この言葉を言いたくなる気持ちと戦っている。
「自分が言われて嫌な事は人に言わない」
数えきれないほど子どもたちに言っているセリフがブーメランのように帰ってくる。
「普通は…」と言いそうになってグッと堪える瞬間が1日に何度も訪れる。


誰に?
息子にだ。


OK。分かってる。普通なんてない。
性差もある。差別はダメだが区別は必要だ。

女性が男性と比べると筋力が小さいように、男性は女性と比べると共感力とかなんかそういうもんが少し小さいんだろう。


にしても。
それにしてもだ。

妹がピアノ練習してるすぐ横で「アレクサ。曲かけて」って、邪魔になるって分かんない?
「お母さん、これ、判子押して」って、今目の前で皿を洗ってる最中だけど、見えてないの?
「今忙しいからちょっと待ってくれる?」の「ちょっと」って、そんな「ちょっと」な訳なくない?

ちょっと考えたら『普通』分かりそうなもんじゃない?



「個体差があります。」「写真はイメージです。」っつっても限度ってもんがあるでしょ。
あまりに標準からかけ離れてたら、さすがにクレームの一つもいれたくなるでしょうよ。


今日も私は「10人中8人はこう考えると思うんだ。」と、回りくどい言い回しをしながら「普通は…」という言葉を飲み込んでいる。

誰か私を『普通』の呪縛から解き放ってくれ。



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