「今思えば、あの人と結婚しても良かった」と小4の担任は言った。
これは、この先決して書かないであろう、私らしくない恋の(ような)話。
「中島美嘉の良さは大人にならないと分かんないわよねえ」
私が小学4年生の時に担任だったY先生は、子どもたちと給食を食べながらそんなことを言うひとだった。
私は彼女と特別親しくはなかったので、教卓で繰り広げられるその手の会話を遠くで聞きつつ、
(いや、10歳の子ども相手にそれ言いますか)
と突っ込みながら本を読んでいた。
今から20年前。アラフォーだったと思う。旦那さんと娘2人の4人暮らし、次女は私たちと同い年だった気がする。
ディズニーランドが大好きで、確か年間パスポートを持っていた。
良い年の重ね方をしていると感じる美人だった。
その見た目に隠れて、まあまあクセの強い先生でもあった。
給食で余ったパンを平気で袋に詰めてお持ち帰りしていたし、「蛇口はポタポタと垂れる程度にしていれば水道代が0円になる」と言っていた。ハエは手で叩くからハエ叩きは要らないらしい。
武田鉄矢さんの、当時すでに絶版となっていた「雲の物語」が大好きで、昼休み中に読み聞かせながら自分で泣いていた。
私はディズニーに興味がなかったし、武田さんには申し訳ないが「雲の物語」もいまいちよく分からなかった。
それでもって、冒頭の会話である。
この人の感性わかんないわあ、と限りなく心の距離ができた。
ちょうどピアノに凝っていた時期だったので、音楽専科の先生との方がよほど仲が良かった。
そのY先生が、やはり給食の時だったか昼休みだったかにしていた思い出話を、私はずっと忘れられない。
「消防士って、何かあった時こそ家を出ちゃうから近くにいてくれないでしょう?だから断っちゃったのよねえ」
何を断ったのか。
いつものように本を読みながら、片手間に遠くのガールズトークを聞き流していた。
「でも、この年になっちゃうとそんなことどうでもいいなって。別に1人でも全然平気だし。だから今思えば、あの人と結婚しても良かったのよね」
そこでようやく、「断っちゃった」のがプロポーズだと気がついた。
衝撃だった。
運命の恋を信じていたわけではない。ないが、別れた相手にそんな優しい未練を残すような感覚は私の理解と想像を超えていた。
しかも、当時のY先生にはその「消防士」を断った後に結婚した相手がいて、お子さんもいた。
そういう家族構成を知っている子どもたちの前で「今思えば」と言えてしまうメンタルにも、度肝を抜かれた。
「女の恋は、名前を付けて保存」という概念に初めて出会った瞬間だった。
あれから20年経っても、私には未だに彼女の感覚を理解しきれない。
……しきれないが、ちょっぴり「これは、それに近いのか?」と思えた経験はある。
***
私という人間はどうにも依存的なタイプを引き寄せやすいらしく、(極めて数少ない)異性からのアプローチに至っては99.9%そのパターンだ。
まともな相手であればモテ期と喜ぶこともできるだろうが、女性を使って自信のなさを埋めたいモラハラ気質に選ばれても自尊心が傷つくだけだ。経験者ならご理解いただけるだろう。
そんな私にも1度だけ、たった1度だけ、まともじゃないかと思える人に「好きだ」と言われたことがある。
相手はスーパーで働くバイトの同僚、ここではK君としよう。
お互い大学4年に上がる手前だった。
私が告白を受けたのはその時が生まれて初めてで、それまで彼の好意には一切気づいてこなかった。でも言われてみれば、あの時ってそういう意味?みたいなこともあった。
すごくいい子だった。周りにへたれ呼ばわりされて、まあ実際へたれだったが、とにかく優しかった。
私が彼に恋愛感情を抱いたことはなかったが、一緒に働いていて気持ちのいい仲間だとは思っていた。
でも、私とK君では大きく価値観が違うこと、その違いはこの先しんどい将来しか描くことができないことが見えていた。
悲しいかな私は、幸福のレシピは知らないくせに不幸の予言だけは得意なのだ。
生真面目にお断りの手紙を書いて渡した。「ありがとう」と言い添えたら、「そういうのが一番きつい」と言われた。
彼はその後すぐにバイトを辞めた。忙しい学科だったし、順番としては辞めるのを決めてから勇気を奮ってくれたのだろう。辞めた後に彼がどうしたかは一切分からない。
誠実だと思う。
あの子以外、後にも先にも現れるのは決まって断っても縋ってくるタイプばかり。こちらが雲隠れしなければならず、向こうから身を引くなんてことはまずない。
そんな潔い人が実在するのかと、ちょっと感動した。
あの時、K君を断ったことに後悔はない。私が彼に恋をした時期も存在しない。
でもどうしてだろう。悲惨な恋愛経験100%じゃないという人生の事実が、あれから10年いっそう傷の増えた私を今でもしゃんと立たせてくれている。
「みたらし、好き?俺好きじゃないから」と言って渡してくれた売れ残りのお団子は、本当は嫌いじゃなかったのかもしれない。
告白された直後、「こういうの初めてだからよくわかんない。ごめん」と謝った私に、「こっちだって初めてなんだよ」とぶっきらぼうに答えた表情は、私相手じゃもったいないほど可愛かった。
たぶん彼自身は愛情を受けて育ってきたから、うつ状態のまま家族のことをぽろっと零した私が心配だったんだと思う。
仕事から上がって2人きりで乗っていたエレベーター、やけに真剣な顔をされて少しこわかった。後から考えたら、あの場で言いたかったんだと思う。
私が逃げたせいで、結局路上で言わせてしまったね。ごめん。
付き合っていれば良かったなんて思わないけれど、どうしたって「好きになってくれてありがとう」としか思えない人だった。
***
今の私はもう、人生に腹をくくっている。
でももしも、将来、いつか、もしも、万が一、もしも、とーっても素敵な人が私の前に現れたとしても、私はK君のことを上書きできそうにない。
私はずるい人間だから、この美化された思い出を終生大事にそっと別名保存する。
彼はたぶん、私のようにずるくない。だから今頃はきっと、私のことなんて上書きして忘れて、かわいい誰かと幸せになっていると思う。なっていて欲しい。いや、へたれなあいつにはかっこいい女性がいいかもしれない。
今思っても、彼はいい人だ。
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