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【恩師のことば】楽な泳ぎ方は速い泳ぎ方

今まで出会ってきた先生が教えてくれた言葉の中でも、私の心でいつまでも色褪せないものをピックアップ。

今回は、スイミングスクールでお世話になったA先生のお話です。


始めた記憶は曖昧だが、少なくとも小学校の6年間はスイミングスクールに毎週通っていた。

週に2回、月曜日と木曜日で毎回1時間。

私が所属していたのは子ども向けの一般コースだった。顔に水をつけるところから始めて個人メドレー(バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールを1人で泳ぎ切る)まで20ほどの級があり、進級テストが月に1回行われていた。

多分、全国のスイミングスクールと大差ないシステムだと思う。

運動神経がまるで悪い私のくせに、この水泳だけはそこそこ成績が良かった。

泳ぐのが速かったというよりも、泳ぎ方を覚えるのが速かったのだと思う。平泳ぎを1日か2日でマスターした時、教えてくれた先生に驚かれた。一般的に平泳ぎは、4泳法の中で1番習得に手こずるらしい。何でも、手の動きと足の動きが絶妙にずれて進まないのだとか。

以前書いたピアノのレッスンの記事でも触れたが、私は絶望的にリズム感がない。ただ、リズム音痴ゆえに生み出される一定の“ずれ”が上手くはまることも時たまある。平泳ぎはその1つだったのかもしれない。

加えて、脚力が弱かった代わりに水を掻くセンスはあったらしく、それが幸いして平泳ぎとバタフライが得意だった。

大抵のことで脱落の種となる要素が、水泳ではかなりの部分で噛み合っていた。

だからとしか言いようがない。体力がまるでない私でも、小学校の高学年までには一般コースの最上クラスである6組にいた。

A先生は6組の担任だった。40代か50代、中肉中背のいかにもなベテランオジサンだった。

そんなA先生率いる6組の子どもたちは、基本の泳ぎ方はマスターしている前提だ。ゆえに彼らが進級する条件は、とにかくタイムを上げることだった。

特にハードなのは、2級は200メートルの個人メドレーだった。もちろんその先も楽ではないのだが、それでも距離は100メートル。200メートルを泳ぎ切ることは間違いなく1つの関門になっていた。

明るいA先生は、2級含め子どもたちがそれぞれ進級できるよういつでも明るく練習の指示を出した。

それが子どもたちにとってはゲッと思うような練習メニューでも。

今でもよく覚えているのは、クロール50メートルを50秒、それを10本連続で泳ぐというメニューだ。

50メートルを50秒以内で泳ぎ切れば、その分だけ休める。ただし50秒以上かかるなら休みなしで次に行かねばならない。

計算上、遅れに遅れれば500メートル連続で泳ぐことになる。これを恐ろしいと言わずして何と言おうか。

他にも、ビート板に手をのせて泳ぎ、ビート板を足に挟んで泳ぎ、短水路の半分である12.5メートルまで潜水して泳ぎ、とにかく泳いで泳いで泳ぎまくった。

スイミングスクールだから当たり前かもしれないが、練習の指示以外は本当にずっと泳いでいた。

毎週ヒイヒイ言いながら、速くなるにはとにかく速く体を動かすしかないと、ずっと思っていた。

そんなある時、A先生は全員をプールから上がらせた。大きな壁面鏡の前でフォームのお手本を見せるためだった。確か、背泳ぎを速く泳ぐために上半身をどう使うかという話だったと思う。

先生は、一通り説明してからこう尋ねた。

「俺がお前たちに教えているのは『楽な泳ぎ方』。なんで『楽な泳ぎ方』を教えているか、分かるか?」

小学生一同、誰も答えられない。

「『楽な泳ぎ方』は、普通に泳げばこのくらい進む。でも、『楽な泳ぎ方』でグン!と力を入れたら、このくらい進む」

このくらい、を両手を使って表現しながら説明してくれた。

「だから、『楽な泳ぎ方』っていうのは、『速い泳ぎ方』なんだよ」

私が小学校5年生か6年生の時だった。真面目で几帳面でルールにうるさく、手抜きというものを至上の悪と見なしていた。

『楽』というものを、そんなふうに捉えたことはなかった。

思い返せば、私がテストで落ちるたびにA先生は困っていた。

「有帆なあ、フォームはいいんだよなあ」

私は、日々の練習でも進級テストの時も、A先生に個人的にあれこれ教えてもらった記憶がほとんどない。そういえば、他の子たちは先生から時々くせを直されていた気もする。

A先生からすれば、私はとっくに『楽な泳ぎ方』なるものを習得していたので、後はそこにグン!と力を込める力をつけるしかないと思っていたのだろう。

そこまで行うには本格的にフィジカルを鍛えなければいけなかったし、そこまで行うのは選手コースへ行く人たちくらいだった。

一般コースの上位にある選手コースは招待制だ。月謝を払えば誰でも通えるわけではない。選定基準は非公開だが、周りの子たちを観察するに私は恐らく体格で落とされた。

生まれ持ったものじゃあどうにもならないと、しばらくは落ち込んでいた。

が、それはつまり、体格や体力がなくてもフォームさえ良ければそこそこ戦えるという証明とも言えた。

何事も不器用な私が、水泳だけは柔よく剛を制していたらしい。(とてもレベルの低い、ごく個人的な比較の問題だが)

本質的なところはそう変わらないとしても、楽を使って効率よく目的を成し遂げる分には、まあ悪くないのかもしれないと思うようになった。

そこに、グン!も必要なのは言うまでもないが。


***


2006年4月17日。個人メドレー100メートル、1分43秒8。

紙に残っている私の最速タイムだ。その後1、2秒ほど上がった気もするが、次の進級に必要だった1分40秒を切れずに終わったことは確かだ。

この記録がどれだけ速いのか、小学生が6年も習えば誰だってそのくらいのタイムになるのか、相場はよく分からない。特1級だったか特2級だったかも覚えていない。誰か教えてほしい。

そこから先は「フォームは悪くないんだよなあ」に陥り、小学校卒業とともにスクールを辞めるまでついぞ進級できなかったが、この私が人並みに行える唯一のスポーツに出会えたのだから万々歳である。

今では、新しいことを始める時には決まって『楽な泳ぎ方』を探すようにしている。

たとえば最近だとプロ野球にはまっているが、それも自分なりに効率の良い方法で学ぶよう頭を使っている。

そうして『楽な泳ぎ方』でグン!と力を入れれば、『速い泳ぎ方』になって楽しいことが加速する。

仕事でそれを発揮できない件については、まあ、目を瞑ってほしい。

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