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【絵本✖️ものの見方】『にじいろのさかな、しましまをたすける』

わたしは「絵本」を用いて学習者の「ものの見方」を育成することを目指しています。

絵本の原作と翻訳を比較することを通して、ものの見方を培う授業デザインをして、実際に授業をして学習者にどんな学びが起こったのかを調べることを主な研究のテーマにしています。それを「英語教育」として行えるかを考えています。


RAINBOW FISH to the rescue!

今回は原作がドイツ語であるため、英語翻訳版と日本語翻訳版を題材にしています。英語翻訳版であるRAINBOW FISH to the rescue!という絵本です。

Marcus Pfister  (1995) RAINBOW FISH to the rescue!.North-South/ Night Sky Books

この絵本のあるページがとても気になる、と
友人のhttps://www.chiemiallwright.co.ukに言われたことがあり。

これは、the fish with the jagged fins(日本語翻訳版の名前:ぎざぎざ)が、the little striped fish (日本語翻訳版の名前:しましま)に意地悪をしている、という前半部分のあと、魚たちのところにサメが襲ってくるという場面です。

They soon saw the shark.  And there was the little striped fish, swimming and spinning away from his jaws.  Rainbow Fish could see the little fish's strength was falling fast.

“Hurry! ” shouted Rainbow Fish, and all the fish swarmed straight for the shark. This confused the shark, because usually fish swam away from him. He turned this way and that snapping right and left until he was dizzy.

The shark almost got the fish with the jagged fins,
but he escaped with just a few scratches.

Marcus Pfister  (1995) RAINBOW FISH to the rescue!.North-South/ Night Sky Books 本文より

ここをDeepLに入れて日本語に訳すと、こんな感じ。


彼らはすぐにサメを見た。 そして、そこには小さなシマシマ魚がいました、泳いで回転してサメの顎から逃げていました。 レインボーフィッシュは、この小さな魚の力がどんどん落ちていくのがわかりました。

急いで!」とレインボーフィッシュは叫びました。「と叫ぶと、すべての魚がサメに向かって群がりました。するとサメは混乱し、いつもは自分から遠ざかるように泳いでいた魚たちが サメは右往左往し、めまいがするほどでした。

サメはもう少しで、ギザギザのヒレを持つ魚を捕まえるところだった。
が、かすり傷程度で済んだ。

Marcus Pfister  (1995) RAINBOW FISH to the rescue!.North-South/ Night Sky Books 本文を
DeepLにより訳したもの


緊迫の状況のなか、しましまもみんなもぎざぎざも、サメからなんとか逃げ延びた状況が丁寧に描かれています。


『にじいろのさかな しましまをたすける』

この原作には日本語翻訳版があります。

Marcus Pfister作 谷川俊太郎訳  (1997)『にじいろのさかな しましまをたすける』.講談社

こちらの翻訳版では、さきほどのページはどう描かれているでしょうか。


すぐに さめが みえた。かわいそうに しましまは、さめの くちから のがれようと、ひっしで およいで いた。もう ちからが つきようと して いるのが、にじうおには わかった。

「はやく!」にじうおは さけんだ。みんなは さめにむかって つきすすんだ。さめは あわてた。ふつうなら にげるはずのさかなたちが おそってくる。
こっちかとおもえば あっち。みぎかとおもえばひだり。キラキラかがやくうろこに めがくらんで さめはもうふらふら。

ぎざぎざは いさましく たたかった。 もう ちょっとで やられるところだったが、 かすりきずで すんだ。 ぎざぎざは じぶんなりのやりかたで、
なかまはずれにしたことをしましまにあやまったのだ。

Marcus Pfister作 谷川俊太郎訳  (1997)『にじいろのさかな しましまをたすける』.講談社.本文より

この最後の一文は、ぎざぎざは じぶんなりのやりかたで、なかまはずれにしたことをしましまにあやまったのだ。は、原作にはありません。

なぜこの一文が、翻訳版には付け加えられているのか。ここの意図を探ることを大学生との授業で行っていきました。


ぎざぎざの行動は本当に謝罪のつもりだったのか。

原作では場面の状況のみ語られているのに対し、日本語翻訳にはぎざぎざの行動の意図が描かれていました。

これについては大学生の間で意見が分かれました。この翻訳のとおりだろうと考える学生がいたのに対し、

・ギザギザは単に、攻めてきたサメからみんなを守っただけではないか。
・本能で行動しただけかもしれない。

そして、原作の本文には描かれていない一文が加えられていることに対し、「解釈の押しつけになり得るのでは」という意見が出てきました。

もちろん、意図があって書き加えられているのですから、翻訳版としての解釈があって当然でしょう。しかしこの議論は教育学部の学生と行っていたため、彼らが教育による価値観の押しつけについて、とても繊細に思考していたとも言えます。この授業が、スイミーの授業のあとだったことも、その視点での思考を助けたかもしれません。


比較することで見えること

翻訳により綴られることばには意図がある、ということは、意識しないと感じられないことかもしれません。でも促せば気づきます。

このように、原作だけ、日本語訳だけを読むのではなく、どちらも読んで比較することの面白さがあると思いませんか。

そんなことを「英語教育」の枠組みのなかで実践していきたいひとりの教員です。


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