【質的研究勉強会】出会いのきっかけ(M2の頃)
大学院M2のとき、自分の研究には質的なリサーチが必要と感じていた。しかし在籍していた大学院では、英語教育分野における質的研究の授業が取れなかった。そのときの現状として必修はおろか選択できる授業もなかった。(大学院から教職大学院になったときにカリキュラムが変わったみたい)
いやもっと正確に表現すると、量的研究と質的研究の違いをM2の春の時点でまだ全く理解できていなかった。(いまも表現するのは難しいけれど)今、振り返ってみると、教職大学院での授業はもう9割がたが量的研究について学ぶものだったと思う。わたしはまだ質的研究に出会っていなかった。
もちろん理論としての存在や、量的な研究との違いは認識していた。しかし、実際に自分の研究デザインにどう影響するのかを考えられるほどには全く理解できていなかった。
今はもう、自分が明らかにしたいことには質的な手法が必要だと認識できる程度にはなった。質的研究の手法は、これからの教育の未来に必要だと私は思う。だから、質的研究に出会う機会や学ぶチャンスがもっといろいろなところで保証されるとよい思う。
質的研究の先生がサバティカルから戻られた
M1の頃からたびたび、MAKIの研究にはA先生の助言が必要かもね、と言われた。それも一回ではない。先生方や先輩、さらには大学の学部から進学してきた同期にまで言われていた。A先生は当時、1年間の研究専念期間に入られていた。
M2になり、お戻りになられる日を本当に心待ちにしていた。4月になるとすぐアポイントメントをとって研究室を訪れた。
M1で自分の求める研究テーマに出会ったが、まだデザインにもなっていないこと。おそらくこれまで習ってきた量的手法では分析ができないこと。目に見えない力を測定したいと思っていること。これらは今だから言語化できているのだが、このときは何も言語化できておらず、でもおおよそこんなことを、頭のなかにある想いを必死に紡ぎ出して先生にお話しした。
春学期はA先生に勧められた学部の異文化理解の授業を履修し、大学3年生とともに学んだ。と、同時に自分の研究デザインを暗中模索の状態でつくっていた。
とにかく先行研究になるようなものが見つけられなかった。今、思うと(こればっかり)英語教育の研究自体が量的研究のものがたいへんに多く、そこから探していても難しかったんだと思う。今のわたしがこの頃のわたしにアドバイスするとしたら、異文化理解やIB教育の文脈で探した方がヒットするよ、かもしれない。
四苦八苦しながらも実践研究としての授業を行い、さて分析と思った夏休み。できない、わからない、質的研究を知らないわたしにはできない!!(そのときは質的研究を知らないからできない、とは気づいていなかったが)
これまで習ってきた手法では明らかにできない
先生に初めてお会いした春、印象に残っているのは「これまでの手法ではどうにもならないと思って、わたしのところに来るひとが多いのよ」という言葉だった。
夏に分析に行き詰まり、もがいている私に「じゃあ、勉強会をやろうか」と先生が提案してくださった。私以外のM1にも必要な院生がいそうだ、と。
現職教員の院生が参加しがち
英語教育SPで他にも質的研究に関心がある院生がいるかもしれない。当時M2はとても少なかったのだが、M1が十数人在籍していた。
先生がM1にも声をかけてくださり、ざっと集まった質的研究に興味のあるメンバーは、現職教員(小学校)、現職教員(小学校)、現職教員(高校)、そしてわたし(元小学校教員)だった。学卒院生もはじめは参加してくれていたが、M2が終わる頃には、この4人が固定メンバーになっていた。
この傾向そのものが興味深かった。質的手法に関心がある人は、学習者の英語力よりもむしろ学習者そのものの変容に関心が深いように感じた。
現場ですでに子どもたちと向き合っている現職教員ばかり集まったことが「教育現場で必要なのは、英語の言語習得だけではない」と表現されているようにだと感じた。(完全なるわたしの主観です)
とにかくこのような経緯を経て、わたしはようやく質的研究を学び始めることになる。すでにM2の夏だった…。もっとはやく出会えていればと思うけれど、このタイミングにもきっと何らかの意味があったのだろう。
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