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イラク戦争とサッカー、人道復興支援のシンボル

 前回、2002日韓ワールドカップですっかりサッカーに嫌気がした私でした。そのうち私もパレスチナに入れなくなってしまい、ちょうどイラク戦争がはじまるかもしれないと緊張が高まりだしたので、イラクのプロジェクトにシフトすることになりました。しかし、2003年アメリカのイラク攻撃がはじまり緊急支援を指揮することになりました。私は前線で張っていたので多くのジャーナリストや、著名人らいろんな人がイラクにやってくるのを見ていました。1993年、ワールドカップ予選でイラクと闘ったラモス瑠偉は、イラク戦争が始まったとき、同じ目標のため競ったイラク選手の無事を祈り、「できるだけ早く終わってほしかった。いい戦争なんてない」と、戦争が落ち着くと直ちにバグダッドに駆けつけました。ラモスのイラク選手へのリスペクトが異常なくらいで驚きました。

日本政府の支援

イラク戦争を支持した日本政府は、人道支援に50億ドルを拠出し、自衛隊に復興支援を担わせることになりました。しかしそもそも、アメリカの開戦理由もめちゃくちゃで、かつての日本のように占領して民主化するという筋書きもでたらめ。
 2004年の2月、日本政府は1000万円を拠出し、イラク代表チームを日本に呼んで現役の日本代表チームとのゲームを組みました。サッカーに税金を使うのか?1000万円あればどれだけ薬が買えるんだろうと考えてしまう私でした。某新聞の電話インタビューでは、以下の部分だけが記事になっていました。「文化的な交流はどんどんやっていくべきだ。政府が仕切るだけでなく、民間も含め、たくさんの交流のチャンネルを持った方がいい」
 

サマワの給水活動サッカーのユニフォームを着ている。 外務省のHP

自衛隊を派遣することに関してはどう思うかという質問はメディアから来かかれました。NGOの代表の一人として、「反対」する立場として最初からあてられているのですね。
 自衛隊の方々とも何度か意見交換させせてもらって、訓練を受けている人達は流石だなと思いますが、イラクはそんなレベルではない。小泉総理が自衛隊を非戦闘地域に派遣すると決定し、どこが非戦闘地域なんです?という質問に「自衛隊が行く所が非戦闘地域だ」と答えていましたが、銃を持ち迷彩服を着たら、非戦闘地域であっても敵が襲ってくるそんな状態です。自衛隊が行く所が戦闘地区になるとも言えます。
結局、サマワでの給水活動が目玉として取り上げられることになりました。
イラクの人たちに親しみをもって受け入れられるようにと、ここでもサッカーが利用されました。キャプテン翼の絵を給水車に書いたり、サッカーボールを配ったり。それなりに効果はあったともいますが、その後治安はどんどん悪化し、結局、反米勢力のターゲットになった自衛隊は、街中に出ることはできず、給水地元の業者や、フランスのNGOに日本政府がお金を払ってやってもらうことになってしまいました。
 給水活動はNGOでもできますよね。という論調も多く、本当に無責任だと思いました。丸腰で行ったからと言って安全なわけがない。我々が武装しないのは、戦争に行くのではなく、たとえ殺されても仕方がないという覚悟でやっている事はなかなか理解してもらえなかったです。
 日本のNGOもそれまでは、日本政府の助成金もそれほどなかったと思いますが、1団体へ数か月で何億円ものお金が支援される緊急支援の枠組み(JPF)ができ、イラク戦争が最初でした。当初現地に派遣される看護師の給与は一か月100万円程度だったたといわれており、日本のNGOにとっても手探りだったと思います。
 

サッカーが好きなイラクのこどもたち

 実際にイラクに行くと米軍の戦車の前でボールを蹴る子ども達や、バスラでは、劣化ウラン弾がたくさん投下されたのにお構いなしで子どもたちはサッカーをしていました。ああ本当に子どもたちはサッカーがすきなんだなあ。そしてやっぱりイラクまで来てしまったラモスのイラク選手へのリスペクトがとても気になりました。(続く)

はだしでボールをける
バスラでは、劣化ウラン弾で破壊されたと思わる戦車の前でも子どもたちがサッカーをしていた。

《ドーハの悲劇から28年》背番号10・ラモス瑠偉が告白した歴史的ドロー“衝撃の真相”「野良犬みたいな俺をオフトは見捨てなかった」(3/4) - サッカー日本代表 - Number Web - ナンバー (bunshun.jp)

https://suigyu.com/noyouni/maki_satoh/_911.html
 

 

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