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空転直下①

おはようございます。
久しぶりになってしまいました。
暫くInstagramの更新を頑張っていてnoteにたどり着けなかった
のが、7月下旬のお話。

そしてもう一つ
今までお世話になっていた会社を退職し
バッタバタでSNSを何もできなかったのが
8月の話。

そして、今日無職になりました(笑)

退職した会社には訪問看護師として入職し
途中、ケアマネの資格を取らせていただき
最後の1年半は訪問看護とケアマネを兼務してきました。
5年弱務めたのかな。

訪問看護をしたいと思ったきっかけは
医院の外来業務に色々な限界を感じて
在宅や地域との関係をもっと濃く深くしないと
私のやりたいことはできない
そう思い、訪問看護ステーションの門を叩いたのです。

そこから、
訪問看護とは、を学び
自分の暮らす地域も訪問看護を初めさせていただき
ケアマネの資格を取ってからは
担当の利用者さんも地域で沢山持たせていただき
自分一人の体では到底賄いきれないほどのお仕事をさせていただいておりました。

空転直下が起きたのは
7月に入ったころからでしょうか

夫の父が開業している医院の人員不足もあり
仕事を辞めて、戻ってきて欲しいと話がありました。
私は以前、義父との考えが合わず医院の看護師を辞めた経緯がある。
そんな私を戻すというのは、
家族としても、医院としてもリスクと私は思っていました。

そんな中、夫は今後の事を考えると
戻ってきて一緒に仕事をしてほしいと
義母も医院をずっと支えてきたが
自身の仕事を引き継ぎしたい。
夫と同じ考えで戻って仕事をしてもらいたいと。

考えが合わないなら辞めろと言われ
人が足りないから戻ってきてくれと言われ
私の尊厳や、私の新しい仕事って
なんなんだろうと
バカにするな、
というのが、話を聞いた時の私の思いでした。

夫の病気もあり
仕事を辞めてから
自分の今後を自分なりに考えて
お仕事を考えて、会社の力も借りて
自分なりに頑張ってきた。
それなのに、たった一言で私は全部を手放さなければいけないのか
「嫁」って、そんなものなのか
「No」の権利は私にはないのか

悩んだ。

私にしかできないこと
私じゃなくてもできること

私が戻る意味
私である意味

自問自答して
夫にも何度も確認して

そして、最終関門
7月下旬のとある日に
義父も含めた家族会議に参加した

勿論、義父は私が戻るのは反対だ。
しかし、義母がどうにも戻ってきてもらわないと成り立たない
私は戻ってきて欲しいと思っていると
義父の言葉に蓋をした。

それでも、それでも悩む私
進も地獄
断るも地獄
逃げ場のない生活に進む恐怖や不安

今までのお仕事も
全て自己解決しないといけなくて
それはそれで大変だった
けど大変の内容が
違う。

悩んで悩んで悩んで

戻ると決めたのが
7月30日
そこからまた新たな騒動が始まるのでした

続きは次回

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