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ただ話せばいいってものじゃない。

対話の場をつくるときに気をつけたいこと。

そのひとつが、関係性をつくることだけを目的にして、成果を求めないこと。

もうひとつの気をつけたいことについても書きたいと思う。

対話の場だけ(集まる場所や時間だけ)つくって放置しないこと。
結構そういうの、多くない?

対話の場だけが用意されても、何話していいかわからなくて、ぎこちない会話のまま終わってしまう、とかってよくある。

はじめは、たとえば自己紹介したりとか、お互い近況話したりとか、なんとなく話せることがあっても、だんだん話題がなくなってきたり。
次第に、集まってみても話が盛り上がらなかったり、意義を感じなくなったりして、集まらなくなってしまったりする。

対話の場があっても、雑談や愚痴ばかりになってしまう、というのもよく聞く。

雑談する時間やそれで関係が深まったりすることを楽しめる人もいるけど、仕事の時間内で雑談だけしてることに罪悪感を覚える人もいる。
そのときには楽しかったりすっきりしたりしても、続ける価値があるかわからなくなって続かなくなったりする。
普段話さないことを話したり、普段話せない人と話したり、そういうのが楽しいと思ってても、だらだら続くとマンネリになるのもあるよね。

「話す」のであればなんでも「対話」なのかというと、違うと思うのだ。

対話に意味がある、効果がある、というときの「対話」って、やっぱり「プロセス(氷山モデルの下の部分)」を話せているときだと思う。

たとえば、雑談できてよかった、というようなときって、嬉しかったことだったり、不安や心配だったり、気持ちの部分を話したときじゃない?
誰かの話に共感したり、はげまされたりとかしたときじゃない?
誰かが喜んでたり安心したりするのを共有できたとか、理解し合えた理解してもらえたと感じたときとかじゃない?

情報を得られてよかった、ってときもあるけど、自分にメリットがあったような場合でなくても、感情などプロセス部分を語り合えてるときって、その時間をよかったと思いやすいと思う。
語り合って近づいたり深まったりした感じがあると思う。



だから、ただ話せる場をつくればいい、ただ話せばいい、っていうのでなくて、「対話できる」状況をつくれるといいよね。

関係性をつくるためなら、そのためだけのプログラムやワークショップなどが意味が大きいと思う。

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