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ただ集中してここにいるということ。

安心して話ができることってほんとにすごく大事だと思う。
何を話しても大丈夫、話しても話さなくても大丈夫、という環境。

それは、与えられるものではなく、誰かがつくるものでもなく、ともにつくっていくものだと思う。
話す人、聴く人、お互いの関わり方でつくられる。
(もちろん、専門家に話すときには専門家が環境を整えるべきだけど、そんな場合であっても、自分の向き合い方などでどんな場になりうるかが変わってしまう。)

話をすること、聴いてもらうこと、ということの効果や価値って、
・話してすっきりする
・話すことで整理される
・話していくことや反応から新たな気づきがある
・話してアドバイスがもらえたり解決したりする
とかが、わかりやすいし期待されやすいことだと思う。

それはそれで嬉しい効果だし、ありがたいことだけど、ほんとは、ただ「話すこと」「聴くこと」そのこと自体に価値があると思う。
何か効果を求めるのでなくて、話している内容に意味を求めるのでもなくて、「話す」「聴く」そのもの。

ただ、話すことや聴いている相手に集中して話をすること。
ただ、聴くことや話している相手に集中して話を聴くこと。
うまく説明できないし、体験しないとわかりにくいかもしれないけども(感じ方の差もあるとも思うけど)、集中して話したり聴いたりできることや、そこに一緒に集中している感じが、安心感で癒しだなぁと思う。 

話す人も、話ができて嬉しいな、話聞いてもらえてよかったな、受け取ってもらえて伝わってよかったな、って感じたりするし。
聴く人も、話してもらえてよかったな、自分に話してくれたの嬉しいな、伝わってきてよかったな、って感じたりする。
話して聴いているその場にある空気やそこに生まれる何か感じられる何かを一緒に味わえてる感じになったりする。

「聴いてもらう」「聴いてあげる」っていう上下っぽい関係ではなくて、対等にその場を共有しあえた関係っていう感じになる。

安心できる、信頼できるから、話せたり聴き合えたりするものだけど、お互いに相手やその場に集中してそこにいるってこと自体が、安心や信頼をつくるとも思う。
いろんなことを考えたり気にしたりしながらそこにいるのでなく、目の前の自分との場だけを見てくれるってそれだけで嬉しいよね?
あたりまえかもしれないけど、忙しい今の世の中ではなかなかそんな時間って少なくて、だから余計にすごい大事だと思う。

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