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ぼーっとできる時間が大事。

書きたいことがあるのに、描いておきたいものも浮かんでるのに、つかれたしだらだらしてたいなぁ、この頭の中がそのまま文章とかイメージに出力されたらいいのに。

って思って、そうやってくだらないこと考えてるくらいだからちょっと余裕でてきたなって思った。
ほんとにつかれてると意味ないことをぼーっと考えている時間がない。
あれこれやりたいなとかは思うけど、寝落ちるか、まんがとか何も考えなくていいことに逃避するか、頭休めようとしている気がする。

会議のスケジュールがつまりすぎていて、1日のうちで6時間会議、みたいなことになると、まったく余裕がなくなる。
隙間時間に急いで作業するとか、あまり話さなくていい間に作業するとか、最低限やらないといけないことはやるのだけど、ゆっくり考える時間がない。
しっかり考えたいことを慌ててやると、考えるのではなくてただの作業になってしまうし、そもそも必ず考えないといけないこと以外のことを考える余白がない。

話しあったことについて、もっとこういうのどうかなぁとか考えるの好きなのに。
次はこんな風にできたらいいなとか、ちょっとしたことでも妄想するのも好きなのに。
やりたいことをどうやって進めようかな、話をとおそうかな、とか計画練るのも好きなのに、そういうのもできない。

で、そういう風にスケジュールに追われていっぱいいっぱいで終わる日って、すごくつかれてしまってほかにやりたいことする余裕もない。
あれもやりたいこれもやりたいって思うのと、あれもこれも考えなきゃって思うのと、あれこれ頭の中が忙しくなってて、結局何かやるのとかしっかり考えるのとかができなくなる。

ほんとは、もっとやりたいことがあるのに。書きたいこととか進めたいこととかいろいろあるのに。

余白が大事、ってほんと思う。
余白の時間だけでなくて、頭の中に余白がないとだめだな、って思う。

時間だけあっても、頭の中が忙しいとそれだけでつかれるし時間とられるし。
スペースがあかないとモノをいれられないのと一緒で、スケジュールに余裕がないとやりたいことができないのとも一緒で、頭の中に余白がないと何か思いついたり新しいことを考えられない。

だからといって、だったら空白の時間、何か考えるための時間をつくればいいってわけではなくて、ぼーっとしてたり何かしながらのときの方が、何か浮かんだりしやすい。
この時間で考えるぞ、っていうのは、結局すでに考えていることを形にするとか進めるとかそのための考える作業でしかないなと思う。それはそれで必要だけど。

歩いてるときとか家事してるときとか、たんたんと動いているときに頭の中はぼーっとしているっていうのもよくあるけど、もしかしたらこうやって書く時間もそれに近いのかもしれないな。
なんか書きたいって浮かんでるけど、そういうときはなんかひっかかってるとか気になるとかそういうのがあるときで、それがなんだろうなって考えたり自分の答えを思いつくために書くのかもしれない。
書きながら浮かんできたことを書いて、書いたことでまた何か思いついて書いて、そういうのの繰り返しだったりする。今もこんなことを書くと思って書きはじめていないしな。

そう思うとますます、やっぱり書くの楽しいなって思うし、自由に書けるの好きだなと思う。

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ふと思ったこととか、noteにまとめる前の思考を記録したりする予定…

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