「目標」ではなく「なりたい状態」を。
目標を立てるということについて、目標設定してそれをクリアしていくようなやり方が自分に合わないなと思う。
その理由を書いているけど、そういえばもうひとつ理由があったのだった。
*
目標を立てるとき、目標を決めてそのための計画を立てるとき、わかりやすい指標を設定してしまいがちじゃない?
わかりやすいというのは、目標や途中経過として設定しやすい、測りやすかったりできたとわかりやすかったりする感じ。
確かに数値とか結果として見やすい形のものは、どれくらい足りてるかとか進んでるかとかもわかりやすいし、できたかできないかもわかりやすいし、わかりやすいから目指しやすいし管理しやすいのでいいのだと思うのだけど。
でも、やりたいことやなりたい姿とかって、そういうわかりやすく表せるものばかりではないので、わかりやすい指標にすることで、なんかずれてしまわないかな?って思うのだ。
*
これがしたい、こうなりたい、とか言っていても、それはほんとにやりたいこととは限らないと思う。
それは、ほんとにこうしたいっていうことのための手段であることがほとんどなんじゃない?
たとえば、ダイエットしたいとかいう場合、ダイエット自体がやりたいことでなく、ダイエットした状態がなりたい姿でもなく、ダイエットした状態になって何かが満たされた状態が「なりたい姿」ではないか。
スタイルよくなって好きな服を着こなせて○○ができて△△になって~という理想のイメージになっているとか。健康になって好きなことが自由にできて~とか。
こんな事業をしたい、こんな商品サービスをつくりたい、というような場合も、ビジネスを成功させること自体とか、商品サービスをつくること自体がやりたいことでなくて、そのことによってこんな問題が解決できるようになったとか、こんな理想が実現できたとか、そういう目指すものがあるはずだ。
これがしたい、こうなりたい、の先の、目指す状態が実現できれば、何をしたいかは変わっても別にいいんじゃない?
(なので実際、たとえば同じ事業でも商品サービス変わったりとかもあるし、いろんな商品サービス出してたりする場合もあるし。やせてきれいになって結婚したいというのであれば、結婚できればやせなくてよかったりするよね?)
*
だから、「どういう状態になりたいか/したいか」をイメージするのがいいのではないかと思う。
理想は/1年後は、どういう状態になっているのか?
そのためにやることは、別に決め切ってなくていいんじゃない?
もちろん決めたっていいけど、しっかり決まってなくてもやれるところからやったらつながっていくはずだ。決めたことだって変えたっていい。
どういう状態にするのかが大事で、そのためにやることが何かということや、どれくらいやるかにこだわらなくてもいい。
何をやるのか何も決めなくていいってことではなくて、「どういう状態にする」っていう大きな方向性くらいのものがあって、それがあったらそのためにやることってイメージできることがあるはずで、がちがちに固めなくても思いつくのを何かしらやりながら考えていくのでもいいのではないかということ。
(もちろんやり方は人それぞれでいいと思うけど。)
*
目標立ててもなかなかうまくいかないなっていう人には、そういう、「目標」というほどかっちりしてない「なりたい状態」を持っておくのをおすすめしたい。
というか、それはみんな持ってるんじゃないかと思う。
たとえば、「目標」っていうと、なんか能動的に何かを目指すようなことをって思ってしまうけど、特に目標とかなくのんびりやりたいな、今のままでいいな、とかも「なりたい状態」になっていくよね。”のんびりやりたい”ってどういう状態?”今のままってどういうこと?”ってイメージしてみたら、具体的になったのがその場合の「なりたい状態」だと思うし。
というか、私も自分ではうまくできないけど、目標にせよなりたい状態にせよ、なんとなく思っているふんわりしたイメージを具体的にはっきりさせていくところが大事だなと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?