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「人の問題」にして片付けない。

キャリア自律についての検討をしているときに、自ら手を挙げることと評価とか、手を挙げたときの上司の許可とかの話が出た。

自ら手を挙げて、チャレンジしたりしても、それを評価されないとか、失敗したときに評価が下がるリスクがあると、手を挙げなくなったりするとか。
手を挙げたくても、上司に相談したときに、今はだめとか言われてチャンスを逃したり諦めたりするとか。

手を挙げたことに対しては本来評価されるべきってなっているし、手を挙げて異動や新しい業務を希望したらほんとは上司は許可すべきらしい。
それをちゃんとしてないのはその上司の問題じゃん、って話になる。
それはそれで事実なんだけど、その人の問題だ、ってことにすると、そこで話が終わってしまう気がしてもやっとする。


別にこの話に限らず、何かを改善しようと検討しているときに、人の問題だよね、ってなって終わることってときどきある。
ちゃんと説明しないと、注意しないと、とか、その人の問題なんだから改善は任せよう、とかになってしまう。

人の問題だ、って任せて押しつけてしまうのは楽だけど、それで解決するようなら、多分すでに改善されていると思う。
それでは解決しないから、もしくは任せて解決しないと困るから、検討しているわけじゃない?

あの人が、あの人たちが、こういう人が、などと、誰かの問題、こんなカテゴリの人の問題、としてしまうのは、わかりやすい。
でも、そんな風に人の問題にして片付けてしまったら、何も解決しないじゃん?
問題を確認したようでいて、まったく何もわかってないのと変わらない気がする。
その問題の何がほんとに問題なのか、そうなる理由はなんなのか、などを確認していかないと意味がないのではないかと思う。

もちろん、ほんとに、その人自身によるその人だけの問題のこともあるけど、複数の人が同じような問題になっているなら、人に依存した問題だけではないのだと思う。
その人たちが同じような状態になっている理由がどこかにないか、システム的に課題がないか、とかを考えたい。


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