見出し画像

枠を越えたいのがいいか越えさせられるのかいいか。

想定外の何かを得るのは、想定している枠の中ではできなくて、枠を越えないといけない。
だから、事前に求める成果を定義されて越境しても、越境になりにくい。

それでも何も新しいことをしないより、事前に決めた成果を取りに行くためであっても、越境らしきことをしてみる方が自分の枠は広がると思う。

自分の思考とふるまいを狭い世界から解き放つ行動原理が「越境」
テリトリー外に飛び出すことで得られるドキドキ、モヤモヤ感、不安感を大事にしたい。
つまり、自分の中の常識を疑い自分を見つめ直す学習機会というプロセスなんだよ、脱予定調和、だよ

どうしたら上手くいきますか?という問いを一度引っ込めてみる

というのを見て、ふと思ったのは、人に(会社や上司などから)求められたり指示されたりして越境学習に行くのと、自分から興味を持って越境学習しに行くのとでは、どっちが「越境」できるのだろう?ということ。

最初ぱっと見で、業務で成果を求められて越境学習しにいくのでは想定外が起こりにくいなと思ったのだけど、自ら学びに行くのも想定外はそんなにないかもしれない。

というのは、自分のことを考えてみたとき、あちこち行ってみてはいても、ほとんどは自分の興味関心の範囲で選ぶなぁと思ったから。

都度都度、そのときに気になったところに行ってみたりして、いろんなところに学びに行っている気分にはなるのだけど、結局似通った内容が多いのだった。
表面的には別の学びでも、根底にある理論が同じだったりつながっていたりして、知り合いや共通の知り合いがいることも多かったりする。

業務の外に出て、いったんは枠を出ていても、その同じ枠にい続けているということにならないか?
その枠にたいして何かを期待しているのだったら、想定外は起こりにくくならないか?
そもそも自分の興味で動きにいったら、自分の枠の中ではないか?
広がったり深まったりしている気分になっているだけではないか?
そんな疑問も浮かんだり。

でも、境界越えるだけでなく、そこであれこれ動かないと何かは生まれないし得られないし、そうするといったん越えたらしばらくその領域にいてしまってあたりまえな気もする。

それと比較すると、たとえば業務でこれまでと違う分野や部署への異動などがあるとき、自分ではまったく希望も想像もしないところへ行くことがある。
その場合は、会社や上司側からは何か期待や求める成果があって、想定の枠から出ないけど、自分の枠は広がりやすい。

そういう意味で、学生時代や社会人初期からがちがちにやりたいことや目指すルートなど決めておかない方が可能性が広がると思っているし、そのためには不本意でも未知の業務っていうのは全然ありだと思っている。

ただ、そのためには、未知のことにがっつり取り組んで身につくくらいの期間が必要で、1年間だけとか、短期プロジェクトに参加だけとかいうのは「越境」にまでならないのではないかっていう疑問もある。

結局は、どういう動機や手段なのかというよりは、どういう意識で何を得ようとするかというところによるのかもしれない。

でも多分「自分の思考とふるまいを狭い世界から解き放つ」「自分の中の常識を疑い自分を見つめ直す学習」という意図や定義をもって、自分の活動をふりかえれると、動き方や考え方は変わるんじゃないかなと思う。

ライティング・ライフ・プロジェクト2024年3月期募集準備中です。
お問い合わせなどはこちらからどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?