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「空気を読む」って同調することじゃない。
「日本人は空気を読むから、感じる力も高いのではないか」というような話を聞いて、ほんとにそうかなぁと疑問に思った。
確かに、「日本人は空気を読む」って言われるし、「空気を読む」ことを求められることは多い。
でも、ほんとにそれは、自分で何かを感じ取って判断しているのかな?と思う。
自分がどう感じているか、どう考えるか、というよりも、ほかの人やまわりの人の意見や態度に合わせたりしてるだけじゃない?
(それも「ほかの人やまわりの人の意見を察して」「合わせるって判断をしている」と言えるかもしれないけども。)
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「空気を読む」って、その場の雰囲気を感じ取ったり、状況や相手の様子から必要なことや求められることを察したりして、適切な判断をして動くこと、だと思う。
感じ取ったり察したりするのと、そこからどう考えてどんな判断するのかは別の話だと思う。
だけど、「空気読んでよ」って言われるとか、「空気読まないね」って言われるようなときって、「この意見に合わせてよ」「自分が思ってることを察してやってよ」って意味のことが多い気がする。
意見を合わせてよ、合わせてって思ってるの察してよ、っていうのは、同調圧力じゃん?
合わせてほしいな、って空気を読んだとしても、合わせないでいる選択肢だってある。
そこで同調してしまうより別の意見を出す方がその場のためになることもある。
思ってること察して何も言わなくてもやってよ、っていうの、わがままとか察してちゃんだったりしない?
求めてることを察しても、あえて察したとおりにしないのが、その人のためになったりもする。
自分で感じ取って考えて気配りして動くのと、誰かの圧力やその場のノームに従って動くのとは、似てるけど違うのではないかと思う。
圧力やノームに従うのって、感じたり察したりもしてると思うけど、自分の感覚を使ってるのかな?自分で判断してないで思考停止してないかな?って思う。
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もちろん、空気を読んで気配りしてくれたり先回りしてくれたりして助かることもあるし、「空気を読む」こと自体は悪いことじゃない。
でも、「空気を読まないといけない」「空気を読んだらそのとおりにしないといけない」っていうのは違うよね?
そのときどきの自分の感じたことから、自分で判断して自分のやりたいことをできたらいいよね。
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