わかちあうということ。
よいふりかえりをしたいと考えているときに、「ふりかえりはわかちあい」という考えを知って。
「わかちあう」気持ちが大事なように思った。
よいことは共有してさらによくできるといいな、共有したことでほかでもよくなるといいな、とか。
課題を共有して解決していきたいな、共有したことでほかの課題の解決などにつながるといいな、とか。
そんな、何かこんな効果とかでなくても、嬉しい気持ちを共有してみんなで味わいたかったりとか、そういうところが根っこなんだろうと思う。
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シェアする、というのも同じように分け合う感じの言葉だけど、「シェア」よりも「わかちあう」方が、深さを感じるように思う。
シェアというと、情報交換とか、知識や経験の共有とか、モノを分け合うとか一緒に使うとか、そういう何かあるものの共有という感じがする。
見えるものでも見えないものでも、表面に出ているもの、事柄、コンテント、の部分の共有というような。
わかちあい、だと、気持ちの部分が共有されるような感じがする。コンテントにたいしてのプロセスの部分。
深いところで交流できて、つながる、つうじあう、みたいな。
ほんとは同じ意味なのかもしれないけど、私は「わかちあう」という言葉の方が感情が入る気がして、なぜ共有したいのかがしっくりくる気がする。
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イベントの打ち合わせで、「インプットだけでなくてアウトプットしてもらいたい」という意見を聞いて、その「アウトプット」が「わかちあい」できるとよいということなんだなと思った。
よく、アウトプットすることでインプットした知識を整理したり定着させたりにつながるなどと言うけど(実際にそういう効果はあると思うけど)、みんなで共有しあって深まっていくのがアウトプットの目的のように思う。
そもそもきっと、言葉や文字ができたのは、人に伝えるためだろうと思うし。自分だけでもってるのでなく、伝えて共有していくために、アウトプットしようとするのだろう。
書くのも話すのも同じくアウトプットだけだ、伝えることは同じだけど、ただ自分で書くのは自分の中で整理されたり考えたりするだけで、人と話すのは広がりがあったり自分で考えるだけとは違う深まりがある。
単に情報を得るだけなら書籍なり記事なり書かれたものを読むだけでもいいけど、対話によって深まる感とかつながっていく感が、人とわかちあうよさで楽しさだなと思う。
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