見出し画像

意味がないようで効果的なこと。

週末に参加してきたPCA(パーソン・センタード・アプローチ)のワークショップで、最後に先生が
「こういう風にゆっくり時間をすごすというのは貴重ですね」
「コスパ、タイパ、というような世の中の流れとは逆ですね」
というようなことをおっしゃった。

確かに貴重だと思う。
ゆっくりじっくりこの場に集中して、話すこと聞くこと自体が目的で、時間をかけて話を聞くことって、日常では少ない。

でも、それはほんとにコスパとかタイパとかと対極なんだろうか?

相手と自分だけに集中して、そこにいる、という、シンプルなことなのに、日常ではなかなか難しい。
というか、私たちは自ら難しくしてるよなぁと思う。
いろんなことを考えて、やるべきことをたくさん持って、時間とか効果とか効率とかを考えて。

何か意味があることをしないと、効果を出さないとだめな気分になっていないか。
何かをしながらでも、ほかのやるべきこととかに意識が向いていないか。
外からの評価や判断を気にして、ほんとにやりたいことややるべきことが見えなくなったりしていないか。
いろんなことを考えて効果や効率を求めているようで、効果や効率のために考えたり動いたりすることで逆に無駄があったり本質からずれたりしていないか。

ただじっくり聴く、ゆっくり相手と向き合う、というのは、ほんと心地よくて豊かでよい時間。

でも、そういう体験自体を知らないと、そのよさがわからないと思う。

体験したとしても、効果とか意味とか考えて、その時間で得られる最大の成果とかコスト回収とか考えたりすると、そのよさはよいと思わないかもしれないとも思う。

でも、その瞬間に何かを生み出したり結論を出したり見える価値があったりしなくても、長い目で見ると何かが生まれたり大きな効果があったりすばらしい価値があったりするものってある。
じっくり向き合う、って、そういうものだと思う。

たった20分、30分、そのとき話す相手とじっくり向き合うだけで、お互い相手に関心が湧き、もっと知りたくなり、なんなら好きになってしまう。
確かにその数十分で、そこで話していることに意味はないかもしれない。
でもそれだけの時間でよい関係性がつくれるっね、めっちゃ価値あると思うんだけど。

相手のことが知れて、相手を知ることや相手から聞いてもらうことで自分のことも知ることができる。
お互いに「知り合う」ことができて、価値観や考え方などにも触れられて、その関係性の中で尊重しながら仕事や何かができたら、それはめちゃくちゃ効率よくよい仕事ができるのではないだろうか。

うまくやることとか、意味や効果を持たせることをいったん置いといて、じっくり話してじっくり聞く、という時間を持つといいと思う。

焦ってたり、うまくいかないことがあったり、そういうときほど、いったんじっくり話をしてみるといいと思う。

無駄で意味がないようで、絶対何かが変わるから。

何かをはじめたり、整理したいとか修正したいタイミングだったり、落ち着きたかったり、そんなときにはゆっくり話そうか、っていうのが習慣にできるといいと思う。

ライティング・ライフ・プロジェクト2024年8月期募集準備中です。
お問い合わせなどはこちらからどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?