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感じるものは全然違ってもいい。

書くっていうことって、と考えてみて、こんなことを書いていたのだけど

“こう思っているとか、こう感じたというのを、わかってくれる人がいたらいいなとも思っているような気もする。”

伝わっていなくても、わかってもらえてなくても、そこから全然違う何かを感じてくれても嬉しいなと思う。

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自分が発したことで、そのときの伝えたい意図のとおりに伝わらなくても、発したことを読んだり聞いたりして、気付いたり感じたり考えたりという、何か受け取ってもらえたってことだけで、すごいことだなぁと思う。

たまたま見つけて読んでくれたり、ご一緒して話聞いてくれたりっていう、その出会いがなければ何も起こらないわけで。

読んでくれたり聞いてくれたりしていても、たいして興味なかったら何も感じないわけで。

それが、たまたま出会えて、多少興味あったりひっかかるところがあって、何か感じたってことじゃない?
この前書いた、一期一会的なのが好きなのと同じかもしれない。

https://note.com/makimemo/n/n65d0ba509463

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前、打ち合わせしているときに、チェックイン終わった後でその後の進め方提案した方に
「どういう意図で今の発言したの?」
って聞いた方がいた。

責めるのでなく(その発言がいけなかったというわけでなく)、発言がわからないというのでもなく、ただ、どんな意図か聞いてみたかったと。

で、発言した人は、特に意図なくなんとなく言ったって話だったし、聞いた人は、その人ならこう考えるかなと思ってそのような意図で受け取っていたと話していて、ほかの人は全然違うように受け取っていた。
私も、特に何も考えずそのまま言葉どおり受け取っていたと思ったけど、話しているうちに「そのまま言葉どおり」という中に(おそらくこうだろう)が含まれていた気もした。

意図どおりに伝わったかどうかでなく、ただその言葉によってそれぞれが何かを感じたり感じていなかったりして、それぞれ違うこと感じているねってところから、話が広がったり深まったりしていって、それが楽しかった。

何か感じてもらえたらそれだけで嬉しい、というのは、そういうのもあるかなと思う。
その人の中で何かが起こって、そこから波紋のようにまた感じたり考えたりが広がっていくのっていいなと。
やりとりできればもっと楽しいかもしれないけど(なのでコメントもらえると嬉しいけど)、そうでなくても、そうやって何か感じたことからまた何か起こってとつながっていくのかなと思うとおもしろいなと思う。

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だから、わかってもらえたら嬉しいだけでなくて、何か感じてもらえたら嬉しいなと思って。
それは、書いたり話したりしたことへの賛成や共感だけでなくても、反対や違う意見でも、全然違うこと思いついたりでも(というか、むしろ、ただ賛成とかだけでない方が)おもしろくていいかもなって思う。


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