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驚かない人は驚かされる

中学校の国語の教科書に載っていた文章が今でも印象に残っている。内田樹『私の身体は頭がいい』の抜粋でタイトルは「胆力について」だった。

内容は極めてシンプルで胆力のある人はぼけっとした鈍感な人ではなく、季節の移ろいや些細な変化に気づき、驚き続けられる人だ。どんな出来事に対しても既知に還元して説明できてしまう人はそこに安住してしまうが、突如生命の危機に瀕するような自体に陥ったときにパニックになり正しく判断を下すことができない。だから、驚かない人は驚かされるのである。

「驚く」ことは能動的な働きで、「驚かされる」ことは受動的な体験だ。国語は得意ではなかった私だが二項対立で書かれたわかりやすい文章と、当時クラスの頭が良くていつも冷静な友達に憧れていたので長く記憶に残っているのだと思う。この言葉遊びのような文章がより記憶に留めてくれた。

起こった事象に、それが必然だと考えるのか、違った未来があったのかを考えることは雲泥の差だ。後者は知性の本質である。論文を読んだりすると、結論が自分でもわかっていたような内容がとても評価されていたりする。なぜだろうと不思議に思うが、それは後知恵バイアス(hindsight baias)と呼ばれる。自分の頭で結果の原因と思われる選択肢がいくつかあるとする。誰かがその選択肢の一つがこの結果の原因だと突き詰めたときに、「ああ、やっぱりね」と他の選択肢を記憶からなくしてしまうことを言う。人間は誰しもがこのバイアスをもっており、結果を見ると、結果を知る前の予測を変化させてしまう。

宿題をやるのが面倒くさくて、答えを見ながら問題を解いていたが、少し心苦しいので一回頭の中で選択肢を決めてからあたかも解いたかのように丸付けをしていた。しかしなぜか通常よりも正答率が良くなってしまい、結局先生にもバレてしまうことがあり不思議であったが理由はこのバイアスのせいだ。

人間気づかぬうちに驚くことを辞め、既知に還元してしまうのだろう。大人になることが何事にも動じない人であるならば、私はいつまでも子どものままでいたいと思う。


※季節の変化とか、小さな変化に敏感に気付ける友人に「印象に残っている教科書の内容ある?」と訪ねたら、
「クラムボン」
だと言っていた。確かによくわからない文章だった(「クラムボンはプカプカ笑ったよ」みたな詩が続いてたと思う)
けど俺のほしい答えではなかった


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