#79 宇宙に二番目に近い山
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
ピスコから下山した時、南米での登山はこれが最後だろうなぁと思ったはずなのに、エクアドルにある宇宙に一番近い山と言われたチンボラソ(6,268m)の存在を知っ時「江戸の敵を長崎でとりたい」などと妙なやる気にかられてしまって、南米にいるうちに雪辱を果たすべく、チンボラソのお膝元リオバンバへ向かった。
チンボラソがなぜ宇宙に一番近い山かと言うと、地球が完全な球形ではなく、楕円形をしているためだ。
地球の半径が最も広い赤道付近に構えるチンボラソは、世界最高峰のエベレストやヒマラヤの山々よりも地球の中心から測った場合の距離が長い、つまり宇宙に向かって最も飛び出している山となる。
リオバンバに着いてさっそく旅行会社を探してみると、予想と大きく違う状況に拍子抜け。
というのもこれまでの登山は、登頂できるかどうかは別として、経験浅い旅行者でもチャレンジできる山ばかりだったせいか、麓の町には「Climbing」の看板をを掲げた旅行会社がひしめいていたし、話しを聞きに行けば、たいてい「経験豊富なガイドが一緒に登るから大丈夫!」「あなたのような素人でもこれまでに何人も挑戦してるから問題ない!」と、こちらが訝しく思うほど言われたものだった。
ところがこの町では登山を扱うツアー会社を見つけるのも大変だった上、「チンボラソ登山について話しを聞きたい」と訪ねても、その対応は明らかに乗り気じゃなく、もっと簡単な山や、質問もしてないサイクリングなどばかり勧められた。滞在中は天気にも恵まれず、チンボラソはどんより厚い雲をかぶったままなので、早々に街を離れて首都のキトに向かうことにした。
キトに着くと打って変わって、旅行会社はあふれていた。そこで今回こそは、と何軒も周って説明を聞き、慎重に検討して申し込んだ。最初希望したのはチンボラソだったけれど、よくよく話を聞くと、やはり素人の登頂率はかなり低いらしい。そのせいか希望者が少ないため、一緒に登る相手を見つけるのが難しそうだ。もちろん自分一人でプライベートガイドを雇うこともできるけれど、当然費用の負担は重くなる。ピスコの教訓はあったけれど、この時のわたしは、やっぱり共に励まし合いながら登る仲間を求めていた。
そこで、今回、目標に定めたのがコトパクシ(5,897m)。エクアドルでは標高第二の山、つまりは宇宙に二番目に近い山。
キト自体そこそこ標高が高いのだけど(2,850m)、近くに日帰り登頂可能なピチンチャ山(標高4,696mで4,000m近くまでケーブルカーで一気に登ることができる)があることを知って、高所順応と足慣らしを兼ねて二回も登った。一度目、かなり軽装で登ったところ、頂上付近でヒョウに降られてしまい(この旅で初めて経験したヒョウ!)、手袋の無い手が本気で凍傷になりそうで怖くなって、登頂までわずかを残して下山。いくら気軽に登れる山とはいえ、4,000mを超える山を甘くみてはいけないことを思い知った。
コトパクシ登山の当日、集合時間に合わせて旅行会社へ行くと、そこには見知った顔があった。今回わたしと一緒に登る男性二名のうちの一人が、先日ピチンチャ山で出会ったオランダ人のロン。まるでロッククライミングのような岩場や、ずり落ちそうな足場の悪い砂地が続くピチンチャを下山する時、一人で歩いていたわたしのことを心配そうに何度も振り返って「こっちの方が歩きやすいよ」などと声を掛けてくれた。話しを聞くと、彼も高所順応のつもりでピチンチャに二回登ったらしい。ひょんな偶然から、今回一緒に登る仲間の一人が彼だというのが心強かった。
南米に来てから大小合わせて数えると、4つ目の登山。
チリのビジャリカ、ボリビアのワイナポトシ、ペルーのピスコ、そして今回エクアドルのコトパクシ。
わたしにとってはそれぞれが思い出深く、キツイ道のりだったけれど、今回最も苦しめられたのは、本格的な高山病だった。
ワイナポトシとピスコの時は、前夜と当日の朝にダイアモックスを飲んでおいた。それが本当に効いていたかどうかは定かじゃないけれど、少なくとも精神的な効果は十分に発揮してくれた。ところが今回はなぜか「薬に頼らず行ってみようか…」という気になって、当日の夕方に早めの夕食を食べ終えた後、薬袋から取り出した錠剤をまた袋に戻して飲むのをやめた。その晩22時に起きて軽めの夜食を口に押し込み、登頂に向けて23時前に出発する時、不安になってやっぱり一錠飲んでおくことにした。
登り始めてから1時間ほどで、じわりじわりと頭痛が脳みそを侵食し始めた。
首の付け根辺りにぼんやりと現れたそれは、徐々に後頭部を這い上がって、頭全体を乗っ取ろうとしていた。初めは「気のせいだ」と思おうとしたけれど、どうにも無視できないくらいの勢力になってきて、吐き気まで加勢する始末。夕食時にあの一錠をなぜ飲まなかったのかと自分を恨みつつ、何度目かの休憩の時、対症療法的にダイアモックスを一錠口の中に放り込んだ。
けれどもすぐに頭痛や吐き気が治まる訳はなく、痛みと吐き気は手をつないだまま、強くなったり弱くなったりしながら何度もわたしを脅かした。これまでに何度か登る途中で嘔吐してしまった人の話しを聞いたことはあったけれど、今回ついにそれが自分の経験になってしまうかもしれない…と思った。
そうならずに済んだのは、ガイドのロビンソンが「ここから下山しよう。時間切れだ」と言ったからだった。すぐさまわたしは「登頂したい」と訴えたけれど、その声にも意志にも力は無く、できる自信も無かった。なんとか反論して欲しいと同じザイルに繋がったロンの方を振り返った時、彼の答えは「これ以上は無理だよ」という冷静な判断だった。
風が強くなってきて寒さは増したように感じたけれど、実際の気温は上がっていたのかもしれない。それまでとは足元の雪質が変わり、歩くたびに足がずぶりずぶり沈む感覚。「重要なのは、自分の足で下りることだ。その体力を残しておかなければならない」とロビンソンは言った。この時のわたしは、他人に迷惑をかけず、自力で下山する体力の捻出を最優先しなければならなかった。
あの日、生まれて初めて、西の空に沈む月の美しさに心が震えた。初めて知った”moonset”というコトバ。
やがて、東の空から太陽が昇り始めると、遥か下に気持ち良さそうに広がるふかふかの雲海には、今わたし達が立っているコトパクシの陰が、ななめに薄く伸びていた。そんな光景に目を奪われながら、今回のわたしは、不思議と悔しさや怒りに襲われることはなかった。
「できれば南米に居る間に雪辱を果たしたかった」でも、そう甘くないのが人生だ。
これでしばらく登山はお休みしよう、そう思ったわたしの心は静かに満ち足りていた。