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#59 真夜中のトレッキング -フィッツロイ-

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

パタゴニア。

恥ずかしながら「それ、どこの国の街の名前?」と聞いてしまうくらい、名前しか知らなかった(南アメリカ大陸の南緯40度付近以南の地域の総称で、アルゼンチンとチリの両国にまたがる地域)

アフリカで出会った人がパタゴニアの氷河を大絶賛していたのが何となく記憶に残っていて、「わたしの南米はアルゼンチンからスタートすることだし、行ってみるか」と軽い気持ちでその地に向かった。

実際行ってみると、予備知識と先入観で頭デッカチになっていなかったことが功を奏した。

ペリトモレノ氷河では、目の前にそびえ立つ氷の尖塔の雄大さに圧倒され、運よく崩落の瞬間を目の当たりにした時には、腹の底にゴゴゴン…と響き渡る鈍い轟音に、畏怖さえ感じた。

これまでに見たアジアやアフリカの風景とは全く異なる山々の風景がどれも新鮮で感動を繰り返したけれど、今振り返ってみて一番印象深いのは、エル・チャルテンでフィッツロイを見るためにトレッキングした時のことだ。

この旅で既に訪れたネパールでも何度かミニ・トレッキングの誘いを受けたけれどそれには見向きもしなかったくせに、エル・カラファテの宿で同じドミトリーになった女の子が、友達と二人で朝陽を見るために夜中に宿を出て行ったという話しを聞いて、なんとなく「それならわたしにもできそうだ」と軽い気持ちで思ってしまった(彼女たちは「往復10時間かかった」という話は、この時点ではサラッと聞き流していた)

フィッツロイは”煙を吐く山”と言われるほど雲に覆われることが多いらしく、その相貌をクッキリと見ることは難しいらしい。

けれど、わたしのチャルテン滞在中は毎日快晴で、着いた初日に町なかからでもハッキリと見上げることができた。「これはもう行くしかない」と意気込み、翌日の決行を決意。朝4時前に宿を出ることになるため、前の日のうちに朝食と腹ごしらえ用のリンゴやバナナと水を買って準備した。

翌日は若干の寝坊のため4時半に宿を出たのはまぁ良いとして、トレッキング・ルートの入り口にたどり着くまでに迷ったせいで、30分ほどロスしてしまい「こんなんで本当に朝陽に間に合うだろうか…」と先が思いやられるスタートになった。

そもそもわたしの中では「数日前に偶然出会った日本人の女の子が行ったくらいだし、行けば同じ道を歩いている人は何人もいるんだろう」とタカをくくっていた。

ところが、星がまたたくだけ、もちろん明かりなんて一つもない山道で、空が白み始める頃まで、結局わたしは誰一人同じ道を行く人にもすれ違う人にも出逢うことはなかった。

パタゴニアでは既に冬が始まっていた。

たった一人で白い息を吐きながら、その向こうに広がる満天の星空を仰ぎ見て「今、これはわたしだけのもの」と思える贅沢。

突然、斜めにスーッと白い弧を描く流れ星にハッとする瞬間。ヘッドライトだけが頼りなのに、この星空を目に焼きつけたくて、何度もライトを消して立ち止まっては首が痛くなるまでポカンと見上げていた。

このパタゴニアの後に訪れたアタカマ砂漠(世界で一番きれいに星が見えると言われている場所)でも星空ツアーに参加したし、あのウユニ塩湖でもサンライズの鏡張りを見るためにまだ星しか見えない時間から待機していたけれど、チャルテンであの空を独り占めした時ほど気持ちが高揚することはなかった。

結局わたしは、何度か道に迷いながら4時間近くかけてフィッツロイが眼前に迫るロス・トレス湖にたどり着くことができた(ここでようやく人に出会えて、ホッとした)。そこで、朝陽を浴びて桃色に染まったフィッツロイを、一瞬だけ目にすることができた。

ロス・トレス湖を前にフィッツロイを眺めながら小1時間かけてリンゴとバナナを頬張り3時間かけて下山した。

往復8時間、やれば意外とできるじゃない。
ここから、パタゴニア滞在中ずっと続くミニ・トレッキングにハマる日々が始まった。

朝焼けの空と湖
氷河を従えたフィッツロイと、ロス・トレス湖
朝焼けの時間が終わると、猛々しい姿が現れる
離れがたくて、何度も何度も振り返って見ながら歩いた
紅葉に草原に木製のトレッキング路が映える
往復8時間のトレッキングの後に食べたコルデーロ(仔羊のステーキ)
どうしてもピンク色に染まったフィッツロイが見たくて、町の近くの丘に登ってみた
エル・チャルテンに入った途端に煙はくフィッツ・ロイが見えてくる


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