#90 バルト三国、その一番北の国
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
旅立つ前はバルト三国にはほとんど興味がなかっただけに、今回エストニアとリトアニアを訪れてみて新鮮な驚きや発見が多く、特にエストニアの首都タリンに惚れ込んだ。
この旅の中ではもう何度も経験してきたことだけど、前評判や情報が少なくヘタな予備知識が無い方が、実際に来て自分の目で見て感動して、好きになることが多い。
バルト三国というと「北欧の近くにある旧ソ連の国 」くらいの認識しかなく(行くまではその位置関係すら曖昧だった…)、まだ社会主義の影が残るようなどちらかというと暗いイメージを抱いていた。
ところが実際に行ってみると、エストニアのタリンもリトアニアのヴィリニュスも、見どころの旧市街は中世の姿を彷彿とさせる趣を残したまま、そこに現代の人々の生活が息づいていて、とても新鮮なエネルギーに満ちた印象を受けた。
まぁ、どちらも観光地なので、古く厳(いかめ)しい顔つきの石造りの建物や、まるで童話の世界に迷い込んだようなカラフルな可愛らしい建物の中に、同じような品揃えのお土産屋さんが軒を連ねているのは想像通りなんだけど。
でもそんな中に地元のアーティストによる前衛的な作品を展示したギャラリーやクラフト・ショップがあったり、地元のファッション・デザイナーのものをメインに据えたセレクトショップがあったりする。
タリンには、旧市街のすぐ近くに若いアーティストやデザイナーが入居しているリノベーションされた古いビルがあったし、ヴィリニュスのウジュピス地区では、ウォール・アートを施した古い建物がアトリエやギャラリーになっていて、そのボヘミアンな雰囲気がアーティスト達を引き寄せているらしい(このウジュピス地区は4月1日を独立記念日として独立を宣言し、独自の憲章を持つユニークな地区なのだ)。
わたしがふらっとのぞくと「ハロー」と挨拶した後はすぐに自分の作業に戻って黙々と続けているアーティストのファクトリー。旧市街を縦横無尽に歩き回っているうちに、そんな特別な場所に出会うのが、楽しくてしょうがなかった。
そういえば東京に住んでいた時も下北沢が大好きで毎週末のように通っていたのが懐かしい。あの街にもクリエイティブな活動に従事する人たちを惹きつける魅力が溢れていた。日本から遠く離れたこの地に来てそんなことを思い出しながら、もっと流暢に英語を話せればここで彼らに質問してみたいことは沢山あるのに…と歯がゆく思ったりした。
街を歩いている時、ハッと振り向いて見つめてしまうようなスタイリッシュな人に出会うことが何度かあった。
この後に訪れたイタリアやフランスでもいわゆる”オシャレ”な人は沢山見かけたけれど、タリンやヴィリニュスで見かけた彼らはもっと個性的で前衛的。
日本でそういう人を見かけると、どうしてもギラギラした違和感を感じることが多かったけれど(それが本人の狙いかもしれないけれど)、ここで見かけた人達からはとても自然体な印象を受けた。それはわたしの中に拭えない差別意識?あるいは日本人の劣等感があるからかもしれない。
* * *
そもそも「バルト三国」とひとくくりに言っても、歴史的背景や言語から、それぞれに異なる特色があるらしい。
物価の面でもエストニアは、より北欧に近い印象だった。10日以上滞在したタリンでいわゆる物乞いを見かけたことは一度も無かったけれど、3日しか滞在していないリトアニアのヴィリニュスでは何度か見かけた。実際、スーパーの中で肩をつつかれて振り返ると「何か買ってくれ」という仕草をされたこともあった。経済や福祉のレベルも違いそうだというのは、旅行者の目から見ても感じた。
タリンで出会った10年以上住んでいるという日本人が教えてくれたことによると、エストニアは政府のマフィア対策が成功して以来、劇的に安全性が向上したらしい。人口や街の規模が全然違うけれど、物騒な事件のニュースを目にする機会は「東京よりもずっと少ない」と言っていたから、安全面でもエストニアはより北欧に近いのかもしれない。
* * *
ヨーロッパの旅を真冬にスタートして以来、何度か「ヨーロッパは冬以外に訪れた方がいいのに…」と気の毒そうに言われたことがあったけれど、わたしにとっては、北欧やバルト三国を冬に訪れることができたのは本当に良かった。もちろん温かい季節にはその時の良さがあると思うけれど、もし春や夏に訪れていたら、まるで映画や童話の中で見たような街並みに「可愛らしいなぁ」という印象を持って終わっていたような気がする。
気温はマイナス。雪がちらつく夜。
館(やかた)と呼びたくなるような古い石造りの建物の曇ったガラス窓からやわらかい明かりがかすかに漏れてくる旧市街。凍てつく寒さに震えながら、雪とみぞれで湿った街灯が照らす石畳の道をあてもなく歩いていると、なんとも言えない瑞々しい気持ちが湧き上がってきて、わたしを高揚させた。
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