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#84 一時帰国

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

エクアドルを脱出し、コロンビアに入ってから、わたしは日本への帰国を決めた。
あくまでも、一時帰国。

盗難以来、わたしの身をものすごく心配していた北海道の実家の家族はもちろん喜んでくれた。旅立つにあたって何年も住んだ東京のアパートを引き払ってしまっていたわたしに、東京に家を持つ叔父夫婦が居候を快く許してくれたことも、本当にありがたかった。
エクアドルのキトに居た頃は、何とか帰らずに失くしたものを現地で手に入れる方法は無いかと必死に考えてショッピング・モールを探し周ったりしていたのに、いったん「帰ろう」と決めたら、不思議と心はすぅーと軽くなった。すると懐かしい日本の日常が、まざまざと現実味を帯びてきた。いつも誰かがわたしの貴重品を狙ってるかもしれないと思わずに済むこと、何でも日本語で対処できること、恋しくてたまらないお風呂!etc…
日本に帰ったら天国のような生活がわたしを待っているんだという思いと共に南米の最後になる国コロンビアを心ゆくまで楽しもう、という気持ちを新たに強くした。

南米に来てから既に5ヶ月以上が過ぎていた。
わたしはこの旅の中で折につけて、旅の初めの頃にミャンマーで出会った世界一周経験者の男性の言葉を思い出していた。東周りで日本から北米、南米、アフリカ…と渡った彼は、南米に2ヶ月ほどしか割けなかったことが悔しくて「アフリカは納得いくまで突き進もう」と思い、約半年ほどかけて北から南へ縦断したという。
わたしの場合は、その逆だ。アジアからアフリカのエチオピアへ飛んだわたしには、初っ端からトラブルを経験したこともあり、アフリカ一人旅のハードルは低くはなかった。絶対行きたいと思っていた国や場所を訪れることはできたけれど、かけた
時間は実質2ヶ月半。アフリカを抜けてから「駆け足過ぎたな…」と悔やんだところですぐに戻れる訳がない。だからこそ「南米では思い残すことの無いようにじっくり時間をかけよう」という思いが強かった。

南米の旅にかけた時間やとった道のりに、もちろん悔いは無い。
でもペルーの後半あたりから徐々に苛まれはじめたのは、コロニアルな街並み、インディヘナの人々の生活風景、メルカドの屋台めし、古代の遺跡 etc…目にするあらゆるものが、前にも見たことある感じだなぁ…という既視感で輝きを失いはじめて、新鮮さを感じることができなくなっていた。

ひとことで言うと南米にお腹いっぱい。そんな風に感じていたことは否めない。盗難が無ければ帰国(たとえ一時帰国だとしても)という選択肢が浮かんでくることは無かったから、コロンビアの後には、悩んでいたけどすごく行ってみたかったベネズエラ、カリブ海の国々、中南米…と進んでいた可能性は高い。件の男性の言葉がずっと心に残っていたから「わたしも南米はとことんまで!」という意気込みから逃れられず、一方で、旅へのモチベーションがどんどん下降していったかもしれない自分を想像すると、恐ろしい。

帰国を決めた時「志し半ばだ…」という気持ちが無かった訳じゃない。でもそんなネガティブな思いよりも、一度日本に帰って気持ちを切り替えることで、次に向かう土地、おそらくヨーロッパをより一層楽しめるんじゃないかと目の前が開ける思いの方が大きかった。日本で必要なものを買い揃えて、破けても捨てられずにずっと着回してきた服を新しく買った服と入れ替えて…と想像するだけで、心は浮き立った。

* * *

結果的に、帰国したことは予想以上に大きな意義をわたしにもたらした。

2ヶ月日本に滞在していた間、わたしは敬愛する祖母の死を見送った。
日本を出る前に「必ず元気に帰ってくるから待っててね!」と約束したとはいえ、今年で105歳になった祖母に、多大な期待をかけることはできなかった。祖母の容体が良くないと知ってから病室を訪れた時、子供の頃以来の長い時間を一緒に過ごすことができた。言葉を交わすよりも、ずっと手を握っていられることが、本当にうれしかった。

今では「祖母がわたしを日本に呼び戻してくれたんだ (かなりの荒療治で…)」と、信じている。
あのまま旅を続けていたら、祖母に何かがあった時すぐに帰国できたかどうかは分からないし、そもそも緊急事態の知らせを受け取ることができたかどうかだって分からない。何も知らずに旅を続けて、祖母の最期を見送ることができなかったとしたら、きっとわたしは一生悔やんだと思う。この旅に出たこと自体を後悔していたかもしれない。

この帰国の間、何人かの友人達も、わたしを激励したいと言って時間を割いてくれた。
ハタから見れば、いい歳になって気ままな放浪癖を振りかざしている嫌なヤツと言われても仕方ないのに、彼らの励まし応援してくれる言葉が「帰ってきたい場所がわたしにもあるんだ」と思わせてくれた。

この帰国のおかげで、次の旅の始まりに向けて、わたしは十分すぎるほどの英気を養うことができた。

一時帰国の時に訪れた懐かしい日本のお祭りの風景
実家の壁に貼ってあった地図、ここまでに私が訪れた国がマーキングされていた
一年半ぶりに食べた家庭の味の天ぷら、に涙出そうになった

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