#42 エチオピアで起こったある小さな事件に関する長い話₋1
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
エチオピアについては色々と前評判を聞いていて、単身乗り込んで来たはいいけれど、かなりビビっていた。(ある人は「インドのお兄さんのような国」と言っていた。どんな国なんだか…)
エチオピアに来たからには絶対に南部にある少数民族の村を訪れよう、と心に決めていた。そこで、まずは情報収集のために、ネットで見つけた旅行会社を訪れた。そこは国営らしくその対応からはかなり
しっかりした印象を受けたけれど、費用の方もしっかりと予算オーバー。頭を抱え込んでしまったわたしに同情してくれた親切な担当者が、わたしのホテルの近くにある「日本人が多く利用している旅行会社」を紹介してくれた。
早速オフィスを訪れると、出てきたマネージャーの男性は、わたしが日本人だと知って、大きな声で「コンニチワ!」と迎えてくれた。
そのオフィスであれこれと検討した結果、最初に訪れた国営旅行会社よりも、少し安い金額で組んだツアーを提案してくれた。アディスアベバからエチオピア南部のトゥルミのマーケットとマゴ国立公園にあるムルシ族の村を3泊4日で訪れる超弾丸ツアー。この辺りを自力で旅したことがある人なら、これが時間的にかなりチャレンジングであることはすぐにわかると思う。
下記が大まかな提案内容。
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1日目:アディスアベバ(朝6時出発) → コンソ宿泊
2日目:コンソ(朝6時出発) → トゥルミの月曜マーケット → ジンカ宿泊
3日目:ジンカ(朝6時出発) → ムルシ族の村 → アルバミンチ宿泊
4日目:アルバミンチ(朝は少しゆっくりできる) → アディスアベバ
※移動は全て専属ドライバー付きのランドクルーザー
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エチオピアでのミニバスを利用した長距離移動が大変だ、という話はさんざん聞いていたので、この提案は魅力的だった。
ただしこの時点では、わたし一人でランドクルーザーをチャーターするプライベートツアーという超贅沢! (これまでのアジアの旅では考えられない…)
時間に余裕があればシェアする仲間を見つけるのがベターだけれども、上述の通り、少数民族のマーケットは曜日が限られているため、これを逃すとまた数日待たなければならない。
この日は提案された出発日の2日前。諸々の手配を考えると、この日中に決断して明日の朝には支払が必要。バックパッカー・スピリットを捨てたわたしは(元々そのスピリットはかなり薄かったけれど…)、エイヤッという気持ちで、参加を決めた。わたしの男前な決断をマネージャーはとても喜んで、エチオピア・ビールを買って来て、乾杯してくれた。
* * *
初日の出発は6:00。そこから長い長いドライブが始まった。
専属ドライバーのデリックとは、前日に既に顔合わせをしていた。旅行会社からは「英語を話せるドライバー」と聞いていたけれど、それほど得意では無い雰囲気。もちろんわたしも世間話ができるほどの英語力は持ち合わせていないし、アディスアベバから南に向かう車窓を見ながら時々写真を撮るだけでも飽きなかったので、ほぼ無言のままドライブは続いて行った。
高地にあるエチオピアは朝晩はとても冷えるけれども、日中の日差しはじりじりと暑い。車の窓越しでも日焼けするには十分だった。そんな時、日の傾きを敏感に察しては「座る場所を変えましょう!」と声をかけてくれたり、荷物をよけてくれたりするデリックに、「親切なドライバーで良かった」とわたしは好感を持っていた。そんなデリックは、南部の今回の目的地の辺りまで来るのは初めてらしく、何度も地図を確かめたり地元の人に道を尋ねながら、慎重に運転を進めていた。結局初日は、食事と数回の休憩を除いて14時間以上のドライブの末、目的地のコンソのホテルに到着した。クタクタだったに違いない彼に、わたしは何度もThank youと伝えた。
翌朝も6:00に出発し、途中でガイドと落ち合って、トゥルミへ向かった。ガイド兼通訳(少数民族の人々は独自の言葉を話すため)の彼の名前は、バンビーノ。「この名前を言うと、イタリア人のようだとよく言われる」と言う彼が、今回のわたしの専属ガイドとして、明日のムルシ族の村の
ガイドまでしてくれることになった。見た目の第一印象はチンピラ風だったけれども、とてもフレンドリーだった。
トゥルミの月曜マーケット。
楽しみにしていたハマル族達が続々とやって来て、マーケットの準備を始めていた。ハマル族は、特に女性たちの服装がユニークで、ヤギ皮で作った服をまとい、色とりどりのビーズや貝殻で
作った華やかなアクセサリーを身に着けている。「首にしている輪の数で何番目の奥さんなのかがわかる(ハマル族は一夫多妻制)」ことや、「足首につけている輪の数で裕福さがわかる(輪の数が多い女性ほど財産の牛を沢山もっている)」ことなどをバンビーノが説明してくれた。男たちは木陰で輪になって座り、今日シメる牛について話し合っているらしかった。
このマーケットに限らず、エチオピア南部の少数民族を訪れて、彼らの写真を撮らせてもらう場合は、お金を払うことが決められている。それも「お礼の気持ちとしていくらか…」というのではなく、大人一枚につき10ブル、子供一枚につき5ブル、というようにしっかりとルールになっている。ところがバンビーノは「事前に取り決めて入場料のような形で400ブル支払ってあるから、個人を特定しないで風景の一部として人を撮るのであれば、何枚撮っても自由だから」と言っていた。これは初耳だったけれど、それも含めてデリックはガイドの手配をしてくれたのだろうと解釈し、わたしは心置きなく写真を撮った。2時間ほど過ごしたのち、2日目の宿泊地であるジンカへと向かった。
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