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#18 世界一周について、考えてみた

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

マンダレーの宿で、世界一周経験者に出会った。

この旅を始めてから世界一周をめざしている人と何人かすれ違ってきたけれど、経験者に出会ったのは初めて。彼は8年前の29歳の時にスタートし、約2年かけて世界を巡った人だった。

「こんな機会はめったにない」と、矢継ぎ早に色んな質問を浴びせてしまったけれど、彼が淡々と語ってくれた話の中で特に印象に残ったこと、「インドには行ってない。だから、”お前は世界一周サギだ”と人からよく言われる」そう彼は自嘲気味に言った。
アメリカからスタートした彼のルートによると、インドは東南アジアに入る手前の、最終段階で最も手強い国。もうインドが目の前、というイラン辺りまで来た時に、今回の旅の中でインドも制覇するかどうかを検討した上で、彼はインド行きを見送ることにしたという。
旅も2年目以降に突入すると、慣れと共に、身体の中にじっとりとした疲れと億劫さが溜まってくるという話は何度か聞いたことがある。旅の中盤ではアフリカ縦断に約半年を費やしたという彼のスタイルからすると、単に「インドに対して腰が引けた」なんてことでは決してないのは明らかだった。彼の話を聞いていて、その潔さがとても気持ちよく、うらやましいとさえ思った。

今のわたしは、ミャンマーの旅を終えて、いよいよインドが目の前に見えて来て、当初の予定ではすぐにインドへ飛ぶはずだったけれど、ここに来て、一人でインドに行くことがとても怖い。まだ、覚悟ができていない。賛否両論が激しく分かれるインド独特のカオスに対する畏怖だけでなく、ここ数年よく目にする悪いニュースの影響も大きい。でも同時に「行ってみたい、この目で見てみたい」という気持ちも強くある。そして「せっかくの世界一周なのに、序盤のここでインドを外すなんてあり得ない」という誰に対するものともいえない (自分に対する?) 見栄のようなものがあるのも、事実だ。

シンプルで分かりやすいので「世界一周」という表現はよくするけれど、わたしも含め、一周することを目的している旅人はほとんどいないと思う。ある程度の期間かけて、地球上の見たいところを巡っていくと、一周に近い状態になるというに過ぎない。いま現在、そんな「世界一周」をめざしている旅人は意外に多い。

そして、このインターネット上に情報あふれる時代には、日々リアルタイムで旅の情報を発信してくれている人が大勢いる。そのおかげで、一昔前、深夜特急の時代と比べると、旅のしやすさは格段に向上していると思う。ところがそれと同時に、一種のルートのパターンができつつあるのも事実だと感じる。「世界一周するなら、この時期にここに行って、これを見なければ、あれに参加しなければ」等々。

わたしが今回のルートを決めた時の基準は「体力的に、老後に行こうとしても難しそう」「今行っておかないと、その国自体が激変しそう」の大きく二つ。
でも実際には「せっかくだからここも行っておかないと…」という気持ちで加えた所があるのも否定できない。決して義務ではないし誰に約束している訳でもない。にもかかわらず。

立ち止まって、冷静になれる?
なにも当初決めたルートを守る必要なんてないし、旅する中で、求めるもの、見たいものが変わってくるのは当然だ。変なこだわりに囚われず、その時々の欲求とモチベーションに従って、素直に選び取ればいいだけのこと。前述の彼にとっては、あの時インドを見送ったことが、きっと次の旅に繋がっていくのだ。

インド行きモラトリアム中の、今のわたし。
少しずつだけれど、比較的安全に行けそうな所、わたしの旅のスタイルに合いそうな所の情報が集まって来た。もう少し、覚悟が固まったら出発できる気がする。

ガイドブックを見るよりも、会社の同僚がお餞別にくれたこの本を見ている方が、モチベーションが高まってくる


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