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悪い事は自分がより良くなるために起きる?

今日聞いた言葉で、「悪い事は自分がより良くなるために起きる」というが耳に残った。

最近は私もそう思うようになっていて。


ちょっと前の事だけど、朝電車に乗ろうと急いでいて、しかもそのときは友達の言葉がちょっとネガティブな感じで頭に残っていてモヤモヤしながら走り出したところで転んでしまって。手と顔から血は出るし、顎と喉は真っ黒になるくらいのあざになって。

でもその時、持っていたお気に入りのバックとマスクのおかげであの程度で済んだと思ったし、

気持ちが乱れているのにそれを無理に考えないようにしたり、やたらと予定を詰め込んでみたり、

そんな風だったから、「自分をもっと大切にしなさい」っていう事かもしれないと思ったりした。

マスクとバックがなかったらもっと大けがだったかもしれないと考えた時に、転んだことはもっとおおごとになる前に気づきをくれたのかもしれないなって気づいた。


以前瞑想を教えてもらった。残念ながら続いていないけど、頭をからっぽにすると気づくこともあるらしくて。それを習得したい。


以前の私だったら、被害者か加害者か、いいか悪いか、白か黒か、という視点しかなかった。

自分に悪いところもあったのに、子どもと会えなくなったことを人やまわりのせいにして悲劇のヒロインみたいな気持ちになったり、

こうなったのは私が悪かったからだと加害者みたいな気持ちになったり


そんな私にとっては暗黒の時代があったからこそ、今に至るんだと思う。


子どもたちが母の日にプレゼントをもって私のうちまで二人で来てくれた時、「カーネーションはパパが買ったんだよ」と娘が話してくれた。それも2回、同じ言葉を繰り返してた。

ずっと前に両親が離婚したのに、パパがママにカーネーションを買ってきたこと、私がそれを喜んで受け取ったことが娘にとって嬉しかったんだと思う。

子どもたちにはママがいなくて寂しい思いもたくさんさせてしまったはず。でもだからこそ、こんないい子たちに育ってるんだと、親ばかな私はいつも思う。


なんでこんな悪いことばかり起こるんだろう、という時はどうやらチャンスらしい。

昔の自分にもし伝えることが出来たとしたら、起きたことに悲嘆したり何かのせいにする時間もある程度はあってもいいけど

どうしてこの試練がきたのか?何か意味があるかも、とちょっと俯瞰して考えてみる事をおすすめしてあげたい。


子どもたちと離れてくらすようになってからもう13年。

自分にとって子どもたちがどんなに大切かがわかった。

まわりの人がどれだけ助けてくれたか、感謝もしている。

Pay Fowardで私が支えてもらったように次の人の役に立てたらいいなと思えるようになった

そして気ままに、自由な時間と場所があることがどれだけ恵まれてるかも今は理解してる。


人の言葉にざわついたり、イラっとすることや痛い思いをしたら、

なぜ今、自分に起こっているのか、もしかしたら同じパターンを繰り返してないか、

瞑想でもマインドフルネスでも、ただ散歩でも思考をちょっとわきにおいて頭をからっぽにしたら、新しい視点がもてるかも。


グサッとくる言葉を発した人に怒るより、

何がグサッときたのか、自分は何に反応していて、どんな意味があるんだろう?と考える。


これはおかしい、という正義感や志を持って良くしていく人は素晴らしいと思う。

ダイソンの創始者は自宅にあった吸引力が落ちた掃除機への怒りから自分の理想の掃除機を作ったことがダイソン創業のきっかけだったって言うし。


怒りが原動力になる時もあると思う

私は転んだり色々しでかした時、怒りを感じるというよりは、ちょっと立ち止まって意味を考えて、それを共有する相手がいることが幸せだなとわかるようになってきた。



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