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当たり前の日常は、突然終わりを迎える

些細な日常の変化。
我が家の日常にほんの少しだけ。

おばちゃんがいなくなった

近所のマンション建設に伴い、交通整備のおばちゃんが働いていた。いつからか。おばちゃんの前は、俯きがちなお兄さんだった。

毎朝、登園する際に前を通る。

人見知りのお兄さんの時は、会釈をするまでに1週間かかった。会釈をしたら必ず返してくれる。娘はまだ歩くこともできなくて、反応もしない、そんな頃。もう2週間ほどしてから「おはようございます!」と声をかけるように変えた。

ちっちゃな声でお兄さんも返してくれる。ママチャリで帰宅する姿を見ては、結構近所に住んでるのかしら。と妄想したりして。

そして、突然お兄さんはいなくなった。元々予定されてたのかもしれないが、挨拶をするだけの関係性だったから、来週からいなくなるよ、なんて分からない。


いつの間にかおばちゃんに変わっていた。60代後半~70代の声に張りのある女性。

おばちゃんは1日目から「おはよう!(関西弁のイントネーション)」と大きな声をかけてくれた。娘は恥ずかしくて俯く。おはよう言えるのにね。

おばちゃんはお兄さんの10倍距離感が近い。
娘が少しずつ慣れてきて、小さく手を振ったり、小声でおはようと言ったり、体調が悪かったり、走って登園できるようになっていたり。母が感じる変化を、おばちゃんも同様に感じてくれていた。

めちゃくちゃ嬉しそうな顔をして、毎日挨拶をしてくれる。

朝のラッシュ時を終えると、おばちゃんは椅子に座って本を読みだす。えっ、仕事中じゃないの?!と思ったのは夫も同様だったよう。

「オーライオーライ!」

とおばちゃんが仕事をする様子を盗撮する夫。初めておばちゃんが仕事してるのみた!といって、動画が送られてきたりもした。

我が家におばちゃんはかなり浸透していた。

基礎工事が終わり、建物がどんどん高くなっていき、道路際が片付いていく。あぁ、綺麗になったらおばちゃんはいなくなるんだと思いながらマンション前を横切る。

おばちゃんに慣れた娘は、駆け足で進む。交差点を曲がればおばちゃんがいるからだ。

「おばちゃんいるかな?!おはよう、言う?」

と交差点をのぞき込むと。


「おばちゃん、いない」

そうか、先週末が最後だったのか。

お兄さんの時同様、おばちゃんの最終日も知らぬ間に終わっていた。

おばちゃんがいた時は、恥ずかしくてろくに挨拶もできなかった娘。いなくなってからは毎日「おばちゃんいないねー、さみしいねー」とつぶやいている。

毎朝会う人に、挨拶をする。それだけ。日常の些細なひとこま。きっとおばちゃんにとっても、娘の様子は可愛かっただろうし、我が家の日常に染み渡っていた彼女。

あんな時もあったねぇ

という些細な日常は、いつの間にか終わりがくる。しかも突然に。だから、どんな小さなことだったとしても後悔ない行動をしていたいな。

毎日のおはようのおかげで、鮮やかな朝になってたから。




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