表の顔と裏の顔をつなぐ勇気
自分の中にある表と裏の顔。
誰にでも2つや3つはありそうな。
10年かけて表と裏をつなげていけるといいなと願いながら、2月には本名で発信する決心がつき、第一段階クリア。
仕事にしているタロットセッションについて、表向きにはおろか、noteにですらタロットのことを書けていなかった。今もほぼ書けてないけど、書けるようになったので、第二段階クリア。
最終段階は、Facebookとnoteをつなぐこと。
表のFacebookと裏のブログ。
「note毎日書いてます」
たった一行書くだけなのに、とてもハードルが高かった。
書いてしまえばなんてことないし、何ら変化もない。
自分の中での「壁」なんてものは、そんなもんだと分かっていても、ハードルが高いモノを壁と呼ぶのかもしれない。
文章を書くのが下手で恥ずかしい
赤裸々な想いを知られるのが恥ずかしい
オモシロさがないからカッコ悪い(関西人か)
夫婦喧嘩のリアルとかカッコ悪い
noteで綴れても、Facebookには綴れないこと。
恥ずかしい・カッコ悪いという心に集約されてる。
事実、昨夜さっそく夫と喧嘩して、見られる人が増えたら本音で書きにくい。という気持ちが芽生えたのも事実。
そもそも、なぜカッコ悪さや恥ずかしさを感じるのか。
この答えこそ、最も恥ずかしいのだけど
完璧でいたいから。
笑える。
全然完璧じゃないのに。
完璧と無縁のタイプなのに。
でも求めていたんだ。
だから苦しかった。
昨夜は今年最も大きく満月が見える日かつ、誕生日ということもあって、
『手放し』には絶好の区切り。
コンプレックス、劣等感、羞恥心、完璧主義。
スッキリ手放せたという感覚は特にないけれど、手放そうと執着していた心も含めて、結構どこかに置いてこれた感覚。
うん、いい感じしてる。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?