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音楽評#1 ヴァイオリニスト宮本笑里

 何年前とは書かないけれど、私はだいぶいい年の大人になってからヴァイオリンを習い始めた。といっても高校卒業までピアノ教室に通い、その後も部屋にはピアノがあってつかず離れずの関係が続いていたので、音楽歴はそれなりに長いような気がする。
 ピアノでは楽譜さえあればだいたいの曲が弾け、自分で愉しむことくらいはできるようになった。このうえ何を求めてヴァイオリンを習うに至ったのには、いろいろと思惑があった気もするけれど、その大きな理由の一つに、ヴァイオリニスト・宮本笑里の存在があった。

登場

   札幌の演奏会で初めて宮本笑里を見たとき、驚いたのは、それまで私が持っていた女性ヴァイオリストのイメージを、宮本笑里がいきなりピコピコハンマーで壊してきたことだ。ピコピコハンマーはもちろん比喩である。
 けれどその時の宮本笑里は本当にピンクのおもちゃのハンマーを手に持って「えいっ♡」とか言って飛び出てくる感じでピコっとステージに現れて、夜7時ぐらいのお茶の間バラエティー的なノリで、えらくカジュアルにそこに立っていた。
「こんばんは、宮本笑里です!」
 ピコピコをおでこにくらった私は軽く混乱した。今日私が訪れたここはオールクラシックの演奏会場だったはず……。
  と、このように、宮本笑里の登場は聴衆のあたまにプラスチックのやわらかい一撃をピコっとくらわせるような、子どものいたずらみたいな一幕だった。

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ベスト噛み二スト 

  クラシックだとソロライブでも演奏家がほとんどしゃべらずに演奏とお辞儀だけで終わることも多いけれど、宮本笑里はよくしゃべる。かといって、話すのはあまり得意ではないのかもしれない。舌っ足らずなトークに私の中のおじさんがきゅんと目を覚ます。
 宮本笑里はライブでいつも、自分で演奏曲の解説をする。たとえば作曲家が生きた時代の歴史とか、曲には彼らのどんな心情が込められているとか、彼女はすごくよく勉強していてとても詳しく語ってくれる。ただし、よどみない演奏からは想像もつかないくらいの噛み噛みトークで。
 名曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、彼女の十八番ともいえる超絶技巧曲、モンティの「チャールダーシュ」も、日本人には言いづらい。彼女はいつも、お手本でもあってそれをなぞるかのように、噛むべき箇所を毎回きちんと噛んだ。
   そんなわけで、
         
 何なのこの人、超可愛い
 
 宮本笑里は私の中のおじさんを総なめにした。
 今でこそ彼女に影響を受けたと思われるかわいい系クラシックアーティストは増えたけれど、一昔前の日本クラシック界には、私が思うに、まだこういうタレントライクなヴァイオリニストはいなかった。
 当時の私の日記によれば「ジャンプコミックスくらいの大きさ」しかない小さい顔、その中で穏やかに光る2つの琥珀、腰まで素直に伸びた黒絹の髪、ギリシャ彫刻みたいな細くて白い手脚、聖女マリアの具現のような笑顔、天使の子どもみたいな頼りないおしゃべり。
  彼女を構成するすべての要素に クラシックの ほうそくが みだれる……!

▲ CDジャケットもアートなのもクラシックではちょっと珍しい。
ヴィヴァルディが「春」第3楽章でイメージした妖精みたいと思いきや、収録されているのは「冬」。

早着替え奏者 宮本笑里

   宮本笑里のステージにおいて私が度肝を抜かれた要素の一つに、クラシック界ではまれに見る衣装替えの多さがある。また他のヴァイオリニストに比べて、宮本笑里のえらぶ服は、見ていて楽しい。
 多くの女性ヴァイオリニストが判を押したように赤やエメラルドグリーンのやたら光沢のある肩見せワンピースというダサ…… 間違えました、伝統的なスタイルをつらぬく中、宮本笑里は、当たり前のような顔をしてピコっと現れる。グレース・コンチネンタルのめちゃくちゃ演奏しづらそうなドレープたっぷりの袖に民族調のビーズ装飾が施されたドレスを揺らし、何なら10㎝超のピンヒールを引っ掛けて「ガッ」と舞台に上がって来るスタイルは、一言で言うならROCK。
  感染症流行でライブが開催される機会も減ったので最近の事情はよく分からないが、宮本笑里ほどステージ衣装を積極的にライブコンテンツの1つにしている演奏家は、ちょっといないんじゃないだろうか。

▲ 琉球衣装などもお召しになる宮本先生。おじさんはどんな笑里も大好きだよ

 ツィゴイネルワイゼンやカッチーニのアヴェ・マリアに良く似合う、深い夜の闇を縫製したようなドレスもいいけど、真っ白いシャツとスキニーデニムに着替えた彼女がステージに現れ、黒絹ロングをかきあげて楽器を構えた瞬間の破壊力を、君は想像できるか? 思い出しただけで、私の中のおじさんは何度でも総毛立つ。
 ああ、宮本笑里のヴァイオリンになりたい。けれど彼女の使っている楽器はNPO法人から貸与された18世紀製のストラディバリウスで、おじさんが一生働いてもその木っ端すら買えないという事実は、全おじさんの息の根を止めてくる。


▲ 宮本先生ご自身作曲のナンバー「Bitter Love」。一児の母になられた先生の過去に、どのようなビターラブ経験が…… 全おじさんが固唾を飲む一曲

Simple is Emiri

 音楽評といいつつ、宮本笑里の可愛さだけで文量を割きすぎてしまった。 でも書こう。私の中のおじさんが大人しくなった今のうちに。
 ここまで書いてきたとおり、私が彼女を好きな理由には、個性的なステージやその純天然のパーソナリティもある。だけど私が宮本笑里にもっとも魅力を感じる点は、作曲家の霊感から受け取ったものを再生する一連の作業に、とても慎重で実直な態度を感じることだ。
 できるだけ基本を逸脱せず、作曲家の描いた絵を信じ、その世界に飛び込む。そこで読んだ物語を納得のいくまで解釈し、できるだけ聴衆が追体験しやすいように演奏する……。宮本笑里は作家の意図を強くリスペクトし、またオーディエンスが理解しやすい言葉で語りかけるような、そんなヴァイオリンを弾く。

▲ エルガーの超有名曲「愛のあいさつ」。宮本笑里はごく標準的なテンポで、あくまでシンプルに弾きこなす

 他のヴァイオリニストと聴き比べてみると、宮本笑里の演奏は本当にオーソドックスだ。余計な装飾をせずに一歩一歩、その地面を素足で確かめるように音を鳴らす。
  コンサートだととくにサービスの意味合いもあって、演奏家はよく、テクニックを誇示するようなパフォーマンスをしたり、曲がドラマチックな所にさしかかると大幅にテンポを変えたりということをするが、宮本笑里はあまりこういうことをやらない。
 これは聞き手によっておそらく感想の分かれるところで、せっかくのライブなら、もっと演奏家の遊び心や個性を見たいという人も多いだろうし、他のアーティストに関していえば私はそういう楽しみ方もする。
 けれど私は、自分がヴァイオリン初学者であることもあってか、宮本笑里の、技術的基礎と作家の意図に忠実な奏法が好きなのだ。ただ素直に、きまじめに。より善く、ていねいに。 そういうありようは、音楽にしろ、仕事にしろ生活にしろ、かえってとてもむつかしいのではないだろうか。

▲ ケルト音楽独特の望郷感をたっぷりと歌われる先生。得意の衣装早替えもご覧いただけるよくばりな動画

  
   宮本笑里はクラシックナンバーだけでなく、古今の定番曲やジャパニーズポップスを積極的にカバーしている。「You Raise Me Up」も、眼を閉じて音だけを聴くドラマチックだけど、動画を見るとわりとアッサリ弾いているところが、宮本笑里はそこがいい。
  このあっさりした感じに至るまでに、宮本笑里はどれだけの努力をしたのだろう。 舞台の中央、まるで彼女がいるそこは緑の深い森で、午睡する天使のように樹木のうろに頬をあずけて眼をつむるその横顔を、なんとか今年はまた、見に行きたいと思う。

【参考資料】

・ 「MUNETSUGU COLLECTION」貸与楽器一覧 NPO法人イエローエンジェル公式サイト
・  宮本笑里オフィシャルブログ「笑里とヴァイオリンと〇〇?」

【おすすめナンバー】

・ 「チャールダーシュ」 作曲:モンティ
   全ヴァイオリン学習者憧れの難曲。モンティ自身、自分の速弾きテクをみせつけるために作曲したと言われている。
・ 「風笛 ~Love letter~」 歌:平原綾香  Vn.:宮本笑里  作曲:大島ミチル
   声量の大天使、平原綾香が自作の歌詞で現代によみがえらせた1999年のNHK朝ドラ発の名曲。

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というか解約した。でもこれで毎日エミリチャン聴いてます……。

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