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好きなものに注ぐ熱量、残ってる?


フランスに移住してもう3ヶ月が経つ。

ある日Youtubeでお気に入りチャンネルの最新動画をチェックしていたら、ふとしたアルゴリズムで死ぬほど懐かしいものが目の前に現れた。

かの有名なThe First Take で歌われている、かつて小学生だった私が見ていたアニメの主題歌たち。当時はまだテレビで見るしかなかったので、毎週○曜日の○時はこのアニメだ、とかなり楽しみにしていた記憶がある。

保育園の発表会で鍵盤ハーモニカを演奏したポケモン、兄弟で協力しながら単行本を集めていたONE PIECE、自分のお小遣いが貯まるたびBOOK OFFに通い少しずつ読み進めたNARUTO、他にもありすぎて書ききれない。

が、ひとつひとつの作品に対する思い出やそれらに注いでいた情熱がはっきりと蘇り、十数年たった今あらためて歌手本人達が歌っている映像を見ながら、変わらない声量・臨場感に幼少期のワクワクした気持ちが再燃した。

みんな歳をとっているはずなのに、画面越しでも伝わってくるパワーは時間の経過を感じさせないほど えげつない。圧倒されて、無意識に目頭が熱くなってしまった。


更に関連して今度はボカロ(VOCALOID)の動画もどんどん出てくる。
うわー、よく聞いてたあのPはなんて名前だったっけ、あの曲はなんだっけ、と一度気になり始めたら答えが知りたくて仕方ない。
「ボカロP 有名 一覧 」とググってまで見つけた大好きだったボカロPたちに少し安心。変わらずに活躍されてるんだなと思うと勝手に嬉しくなった。

今となっては日本を代表するアーティストである米津玄師も、元は人気ボカロPだったという話は有名だと思うが、当時から彼のボカロ作品を聴いていた人間としてはとんでもないタネ明かし(というか伏線回収?)に何故か冷や汗が出たものだった。

私が中学生の頃、ボカロの機械的な声が受け入れられなくて好きになれない、初音ミクってヲタクのやつ?という意見を聞いたことはあったし、言わんとすることは分からんでもない。

思春期という多感な時期に周りにどう見られるかを気にして特に公言はしてなかったが、私は内心そういう偏見もとい外面、ハードはどうでもいいと思っていた。その詞、音楽、イラスト、動画…あらゆる創造性や才能の塊のような作品自体がとてもキラキラと愛おしくて、自分にこんなものは生み出せないという尊敬の念も重なり、すごく魅力的な世界観だと感じていた。

そして大人になった今聴いても、やっぱり一度好きと思った作品の輝きは変わらない。むしろ歌詞の意味をより深く理解できて尚良い。ひとくちにボカロと言っても多種多様でそれがまた面白いんだよね。そこから派生して歌い手や踊り手も好きになっていっちゃうし。


前置きが長くなったが、そういうものたちを見た後、いまの私は子供の頃のように何か熱中できる or 感性が刺激されることを十分楽しんでいるだろうか、と自問自答している。

学生時代は漫画やアニメ、二次元以外にも好きなアーティストや芸能人はそれなりにいたし、ライブやフェス、旅行にもよく行って全国に友達がいた。

社会人になってからはすっかり趣味や優先順位が変わってしまって、自分の「これが好き」という気持ちに鈍くなっていたと思う。
好きなことを仕事にしようとすると人間関係に恵まれないことが重なり、余計に「好き」から距離を置こうと保守的になっていたかもしれない。

「好きなもの」はあっても、昔みたいに無我夢中で1日それをずっとやり続けるのは、時間・体力・気力的にもなかなかきついなと感じる部分もある。大人になると言い訳ばっかり先に出てきちゃうなと書いてて実感、良くない(笑)

最近ずっとやってても苦じゃないのはSwitchの64ソフト達。文章や料理、何か作ること。

好き嫌いがはっきりしていて、プライベートを大切にする人が多いフランスで暮らしながら、自分の「好きなもの」と今後どう付き合っていこうかなぁなんて考える春です。


最後に私の好きなボカロPの曲をひとつ。
旦那さんが作曲、奥さんが歌ってる素晴らしい作品。


もし知ってる人いたら嬉しいな☺️

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