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私と文化人類学

大学時代、文化人類学を専攻していた。

哲学が「人間は何を知ることができるか」についての学問なら、人類学は「人間とは何か」についての学問であると聞き、その根源的な問いの響きがかっこいいという理由で選んだ。

フレッシュマンの頃、エドワード・W・サイードの『オリエンタリズム』を読んだ。

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オリエンタリズム(下)
エドワード・W. サイード (著), 今沢 紀子 (翻訳) 平凡社ライブラリー

西洋人から見た「辺境」の人々のイメージは、現地の文化を客観的に描いたものではなく、西洋中心の植民地支配的な思考にもとづいたイメージなのだ、という内容だった。

だから、「女子割礼」(女性の身体の一部を切り取る)というムスリムの慣習を、女性を抑圧する野蛮なものとして「語り」、ムスリム女性を犠牲者のように扱うのも、「第三世界」に対する差別的な眼差しである。「語るもの」と「語られるもの」の間には、常に支配的な関係がつきまとうー。(岡 真理 「「女子割礼」という陥穽、あるいはフライデイの口」)

そのような内容の論説を読んで、なるほど、「先進国」日本に住む私は、そんな思考の落とし穴にはまることなく、「未開」の人びとの視点で文化を観察しよう、これが人類学なんだーと無邪気に考えていた。

当時、バブル崩壊後とはいえ、音楽シーンは小室哲哉プロデュースのダンスナンバーがヒットを飛ばし、CDもまだバンバン売れていた頃だったし、TVではお腹がぽっこりと出たアフリカの子どもの写真が映し出され、「恵まれない子どもたちに愛を」というナレーションとともに寄付が呼びかけられていた。電化製品は日本のものが一番品質が良く、「恵まれた」国に生まれた私は、「恵まれない」国に寄付をする義務があるんだ、と本気で思っていた。

まさか就職に失敗して病気になり、自分が貧困の立場になるなんて、その時は想像もしていなかったし、貧困が原因で餓死する人、給食費が払えない人は日本にはいないと思っていた。

「未開」の人々の文化から、先進国日本が発展の途上で見失った大切なものを学ぼう、その意識がすでに思い上がりだった。

いま、本当の豊かさとはなんなのかを、改めて人類学に問おうと、本を読み直している。物見遊山気分ではなく、本当に切羽詰まった状況で。

キーワードは「贈与」

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贈与論 ―資本主義を突き抜けるための哲学―  岩野卓司著 青土社2019/9


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「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと 」奥野克巳著 亜紀書房 2018/5

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うしろめたさの人類学 松村圭一郎著 ミシマ社2017/9

次回は、オウム真理教と地下鉄サリン事件が私に与えた衝撃、劇団「第三舞台」に夢中になった日々、実存主義、構造主義、ポスト構造主義、ポストモダンについて、なぁさんのストレッチ本が重版した理由など。(メモ)

大学時代の私には、勉強ばっかりしてないで、メイクやファッションも研究した方がいいよ、とアドバイスしてあげたい。

#サイード #岡真理 #文化人類学 #岩野卓司 #奥野克巳   #松村圭一郎

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