ある風景と小さな死

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

出典は申し訳ないけどわからない。マハトマ・ガンジーの名言として出回っているものである。明日死ぬつもりで生きなさい、永遠に生きるつもりで学びなさい。この言葉が好きだったし、そのように生きたいと自分を奮い立たせていた。

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「車で来ているので送りますよ。方向、同じですから」

横浜で仕事があったのだった。ご一緒した人に言われて空を見上げると、弱い雨粒が強い風に煽られて頬を濡らす。こういう日は傘などまるで役に立たない。ありがたくお言葉に甘えて、上品なグレーの車に乗り込んだ。ハンドルの六連星が視界に入る。ついぞ免許をもったことがない私にとって、運転ができる人というのはとてつもなくすごい人のように見える。

世間話をしながら風景と時間は流れる。明治から昭和初期にかけての文学のこと。今はもうこの世を去った人の、奇跡のような邂逅のこと。文学賞に抱く、複雑な思いのこと。歌うように言葉は尽きない。そして窓の外はずっとグレーで、木々が風のかたちになっていた。嵐の前なのだ。

あの日もこんな風景だった。夏にしては涼しい日、どんよりとした曇り空のもと横浜から都心に向かう。私は少しおめかしをして、チャコールグレーのワンピースを着ていた。マンションと街路樹、さまざまな企業のロゴマークが立ち並ぶ幹線道路のありふれた風景。高村智恵子が空はないと絶望したこの東京も、輝いて見えた。一生この風景を忘れないようにと、すべての光景を目に焼き付けておこうと外を見ていた。明日死んでもいいように。これが最後の記憶になってもいいように。となりでハンドルをにぎっている人が、いなくなっても自分が大丈夫なように。

あの日と同じ幹線道路を通って、あの日と同じ交差点を右に曲がる。脳内に焼き付けた風景が眼の前に次々と再生される。そうだ、思い出した。あの日は記憶に焼き付けることで、これからちゃんと生きていけると思っていたのだ。ひとりでも、ちゃんと自分の足で立っていけると。しかし時間が経った今、あらためて思う。私はあの日、小さく自分を殺していたのだ。今の幸せが永遠でないと知っていた。わかっていても後悔のないように、私は幸せだったと思おうとしていた。ほんとうの感情を殺して、べつの感情を掻き立てて風景を目に焼き付けていた。

名言というものはハッと心をとらえるように思えるけれど、生きれば生きるほど「わかったつもりになっていた」ということがわかってくることもある。明日死ぬつもりで生きるのは素晴らしいことだ。本当にそう思っていたのに、あの頃の私はただ自分を殺しながら生きていただけだった。そんなことすら、わかっていなかったのだ。


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