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Forever young

カフェというより喫茶店という呼び方が似合う店で原稿を書いていると、My Favorite Thingsが流れてきた。サウンド・オブ・ミュージックの有名な曲で……というより「そうだ、京都行こう」と言ったほうが通じるかもしれない。懐かしいな、京都行きたいな。これからの季節は暑いけど、京都で鱧を食べたら最高だよなあ。って、梅肉の味まで連想しながら音楽に引っ張られるようなときは、仕事に集中できていない証拠なのである。しかしつぎに「惑星」の木星が、そして愛のテーマ(ニュー・シネマ・パラダイスの)がかかったときは「なんでその選曲なの」と思わず胸が締め付けられた。その偶然の曲のつらなりはすべて、かつてヴァイオリンで弾いた曲ばかりだったのだ。つたない音をつなげて、一生懸命耳を澄ませて。愛のテーマはどうしても弾きたくて、楽譜を書いてもらったものだった。

ヴァイオリンが趣味の恋人と暮らしていた頃、日常的にいろいろな曲を弾いてもらった。私も少しでも彼が好きなものを共有できたらと、彼がくれた楽器をもって習いに行った。自分で楽器を手にしてみてわかったが、弦楽器を弾くという行為は「音に触れる」ことなのだ。振動にじかに触れると彼が感じているなにかを共有しているようで、こういう恋もあるのだと知った。楽器や演奏会のことでケンカをすることも、実に多かったのだけれど。何年かそうした日々を過ごし、私は家を出た。悔やんではいない。あのときの私には、いや私たちにはそれがベストだった。リベルタンゴは弾けるようになりたかった、と今でも思うけれど。

もう、終わったことだ。音楽は音楽であり、追憶にとらわれる必要はない。それでもなんとなく心乱されてしまい、コーヒーを飲み干し店を出た。駅に向かって歩き始めると、Forever young、と竹原ピストルの歌が聞こえてくる。声の方向に目を向けると、路上ライブのミュージシャンがギターをかき鳴らし歌っているのが見えた。あの頃の君にあって、Forever young、今の君にーーないものなんてないさ。

今の私にはなにもないよ、全部手放してきたもの。恋人も、楽器も、見晴らしのよい高台の風景も。

でも、と思い直す。私の手を震わせた弦の感触はまだ、鮮やかに左手に残っている。弓が弦を捉え、音を生み出す感覚もまだ、右手に残っている。あれから何年も経つのに。恋人も楽器も風景も、少し苦いけれど思い出には残っている。感覚が私のあの頃の全部だとすれば、今の私は確かに、ないものはないのだ。それならこれからは、私を悲しくする感覚はひとつだって選ばずにいようと思うのだった。Forever young、年齢を重ねた今だから思えること。

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