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ため息の効用

益田ミリさんの『すーちゃん』という漫画がある。そのなかに出てくる

「ため息ひとつで幸せもひとつ逃げるって誰かが言ってたけど、ため息までガマンしたら窒息するよ」

という言葉がずっと印象に残っていた。まいちゃんという、主人公の友達のことばである。この言葉には「ストレスなんか誰にでもある/ストレスがあって当たり前 って思わないとやってらんないよ」と続く。「若いブスより自分のほうが女のランキングでは上」と思ったり、妻子ある恋人に毒づいたり、そんな時間のあとはいつも「自分は何をやってんの」と落ちこんでしまう。一生懸命でまっすぐで、実に人間的なかわいい人だ。

この「ため息をつくと幸せが逃げる」説、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。言うほうも決して悪気はないだろうし、元気なときに聞けば「よし、気分切り替えていこ」となるものだ。しかしそうでないときに聞けば、なんだかもう何もかもやんなっちゃうのである。ため息をつくほどげっそりすることがあっても必死で耐えているのに、幸せが逃げるとまで言われてはたまらない。しかも何も知らん他人に。確かに四六時中「はぁ〜」とやっていれば周囲の人間もたまらないし、何か頼むのもためらってしまう。幸せにつながらないのは誰もが想像できるだろう。この言葉は、自分が「よし」と思えるくらいに元気なときに、自分が自分に言って軽めの叱咤激励とする程度がちょうどいいのだ。他人に無責任に言い放ったり、元気が出ないときにわざわざ、自分を落ち込ませるために使う必要はない。言葉を呪いにしてはいけない。

「ため息をつくと幸せが逃げる」説には、医学的な反論がなされているのもよく見る光景だ。たとえば鎌田實氏などは、著書『1%の力』にてこう語る。

「ため息をつくと肺のなかにいっぱい空気が入ってきて、深くていい呼吸になります。副交感神経が刺激されるのです。日本はストレス社会で交感神経過緊張になりやすい。(中略)生きていると、ピンチに立たされることがあります。そんな時、深呼吸をしてみる。息をいっぱい吸って全部吐き出してみる。嫌な気持ちを全部吐き出してしまうのです。空気が変わり始める。次に息を吸ったとき、なんとかなる、と思えてくるのです。体と心はつながっている。深呼吸でもため息でもいい。どちらも状況を変えるきっかけになります」(鎌田實『1%の力』)

「は〜、やってらんね〜!!!!!次いこ次!」なんて言えるときは、まさにこれが真理だ。ハーッと派手にぶちかませばいい。しょんぼりしているときは息も浅くなりがちで、それは深呼吸とはまた違う気もするのだが、ため息をつく=幸せが逃げる、という単純な結びつけをするよりはよほど、前向きな思考だろう。ため息ついちゃった、と思ったら「今のなし!深呼吸!」と自分のなかで定義して、思いっきり吸ってみてもいいかもしれない。大きく息を吸う元気がないときは、息を止めないために自分が頑張っているとき、と考えておく。

そんな感じで私はため息を自分に禁じてはいないのだが、ひとつだけルールを設けている。ため息は、ひとりのときにするということだ。理由はふたつ。ひとつは自分に集中するため、もうひとつは自分が後悔しないため。

うなだれて息を吐ききる、そのことに集中すると「ああ、自分はダメージを受けているのだ」とつくづく実感できる。だからこそ「次はこうしよう」というアイデアも浮かんでくるのだ。つきっぱなしで終わってしまえば、ダメージを受けただけの自分で終わってしまう。そう遠くない未来、またため息をつくことにもなるだろう。そんなの、自分がかわいそうではないか。だから、ため息をつくときはひとりでそっと、おのれの吐く息に耳を澄ませる。

そして、自分が後悔しないため。もうずっと昔のこと、私は悩みの原因をつくった人の前で、わざわざため息をついてみせることがあった。あなたのせいで悩んでいるんだ。こんなに苦しんでいるんだ。苦しみや痛みをわかってほしかったのだ。いや、わかってもらうだけじゃない。「悩ませてごめん、これからは君を大事にするよ」とか「すみません、ちゃんと仕事をします」とか言って、行動に移してほしいというのが本音だった。要は、ため息を「つかずにはいられずに、思わずついてしまう」のではなく、人を操作したくて「わざとつく」ということをしていたのだ。本当に嫌な人間だと思う。そんなの、うまくいくはずもないのに。ちゃんと言葉で伝えればいいのに。

ほんの一瞬前まで自分のなかにあったあたたかい空気を、私は誰かを追い詰め息苦しい気持ちにさせるために使って、いくつかの健全な関係を失った。これが「幸せが逃げる」の正体なのだろうと思う。彼らには、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。もう、後悔は増やさない。

ため息をつくほどにダメージを受けているときこそ、そこから抜け出すための方策を全力で考えることにエネルギーを向けたい。同情を引いて「大丈夫?」と誰かが声をかけてくれるのを待つのではなく「この人なら、と思える友人を探して相談する」という選択をしたほうがよっぽどいい。誰かに罪悪感を抱かせるのではなく「こうしていこうぜ」と言えるようにしたほうが素敵だ。

だから、ため息はひとりのときに。それは「幸せが逃げるから」という呪いにおびえて我慢することではなくて、よく聞いて感じて、自分のために活かすという「選択」なのだ。吐く息が白く目に見えるこの季節、ため息の効用というものを考えてみたりする。


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