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さまよいごっこ

多くの厄介事は、突然起きるように見える。しかしその原因はといえば、廃屋の屋根に静かに降り積もる雪のように時間をかけて蓄積し、ある段階に至ると瓦解するのだ。前兆はあり、リスクを取り除くことは不可能ではない。しかし私たちは往々にしてそれに気づかず、あるいは「まだいける」などと意図的に見過ごし、当然の帰結として起きた厄介事に肩を落とすのである。

さて、我が家の水道管が壊れた。肩を落とす私に、工事業者は長い年月がいつの間にか金属を蝕んでいたことを告げた。何も昨日今日で破壊されたわけではない。我慢がたまりにたまって崩壊する人間関係、先送りし続けた結果が次の担当者によって暴かれる仕事。そうしたものと同じように、問題はすでにずっと前から蓄積されていたのだ。静かに降り積もる雪のように。

そんなワケでホテルを転々と泊まり歩いている。ある日は八重桜がぽんぽん咲く川のそば、ある日は東京タワーのお膝元、ある日は嬌声響く歓楽街のど真ん中。大変でしょうと同情されるが、これはこれで楽しい。デラシネのように生きてみたいという願望は、誰しも少なからず持っているのではなかろうか。知り合いが誰もいない街でふらりとカフェに入って、さまよえる人ぶってコーヒーをのんだりする。ふとスマホを見ると、宿泊予約サービスから「もうすぐご出発ですね」とメールが来ていた。明日にはここを出て、またちがう街に行くのだ。仕事道具とわずかな衣服をつめた鞄をさげて。

ずっとこうしていられたらと、ちょっとだけ思う。でも、もしさまようことが日常になったら、家や仕事場や、いつもの顔ぶれやたくさんの持ち物が恋しくなる。そして戻れば、また倦んだ日常に嫌気がさして漂泊への思いを募らせるのだ。“ここではないどこか”も、そのどこかに行ってしまえば新鮮さを失い、ただの日常になる。そういうものだしそれでいい。大人ってものは夢がないよねえ。でもだからこそ、目の前の愛とか仕事を大事にしよう、少しでも良いものにしていこうと思えるのかもしれないね。そんなことを考えながら、つかの間のさまよいごっこを楽しむ中年の春なんである。


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