見出し画像

あの日の続きを

桜のつぼみがほころび始めるずっと前から、外出をしなくなっていた。週に一度くらい、冬眠明けの熊のごとく食材を買い求めに行くほかは、仕事部屋にこもって暮らしている。静かな午後、机に向かっていると、ふと視界がぐらつくような感覚に襲われる。これは、あの生活の続きではないのだろうか。口と心を閉ざし、人とのつながりを断った日々を、私はまだ生きているのではないかと。

  *  *  *

良くないことというのはしばしば、吹き溜まりのように寄せ集まってくる。人生のある時期、人に損なわれることが重なった。不器用なりにうまくやろうと思って、自分なりに力を尽くしたつもりだった。我慢もしたし、努力もした。でも、どういうわけか至近距離から突き飛ばされるような――もちろん、たとえだが――ことが重なり、私はだめになったのだった。何もかもが悪い冗談のように思えた。でもすべてが現実だった。

私は人と会うのをやめ、電話にも出なくなった。最小限の関わりを、文字だけで維持した。早朝にベッドから抜け出し、コーヒーを淹れて朝食をつくり、夜まで仕事をする。深夜になるとウイスキーをソーダで割って、本を読みながら飲んだ。音楽もテレビもない、静かで昏い部屋に炭酸が弾ける音とページをめくる音だけが響く。透明な緩衝材に包まれたかのような、静かな生活。

季節が変わって木々が色合いを変えた頃、沈黙の海から釣り上げられるようにして、次第にまた人と会うようになった。きっかけはよく覚えていない。おそらくは仕事で撮影や打ち合わせがあったか、友人が心配してくれたかしたのだったと思う。

  *  *  *

突然、朗々とした口調の話し声が響いて、はっと我に返った。テレワーク中のパートナーがWebMTGを始めたのだ。急に、感覚上に視界が戻ってくる。積み上がった本、おびただしい書類、飲みかけのコーヒー。真っ白なWordの画面。部屋も家具も違って、私自身だけがあの頃と地続きで、でももうあの頃を生きてはないのだ。生活には会話があり、パートナーがつけてくれるニュースを朝夕に見たりもする。音楽があり、MacBook Proはケーブルをつなぐたびにフォン、とちいさな音を立てる。友人たちからzoom飲みの誘いが来る。

ここには私を損なうような人は誰もいない。だめになってから、ひとつひとつ選び取っていったから。自分を損なわない人たちを、ものを。あの日の続きという幻影も、いつか消えていくだろうか。冷めたコーヒーを飲みながら、現実を体に染み込ませる。

人は何かを消し去ることはできない――消え去るのを待つしかない
(村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』講談社文庫)




お読みいただきありがとうございます。お気持ちもお金も大切に預からせていただき、寄付させていただくつもりでおります。